まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>流辺硫短編小説集①「お好み焼き」
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 夏が終わろうとしているのか、じっとりとした熱気は、日が落ちて弱まった。しかしまだまだ日中は蒸し暑く、エアコンのスイッチを入れていても汗が噴き出て来る。

 取締役が来たのは、夕方に近い時間だった。まだ日が照っていて、蒸し暑い。もみ手をしながら迎えた三橋と取締役が二十分ほど話し、それから渉に声をかけてきた。

 意外にも、回った四軒とも厭味の一つすら出ず、頭を下げ菓子折りを渡したのが拍子抜けするくらい、あっさりとことが済んだ。同行した取締役は支店にも寄らず、用が済むとすぐに本店へと戻って行った。

「だろ、だからなんでもないって言ったんだよ」

 焼きすぎの焼肉をコンスタントに口に運びながら、小森は得意顔でその言葉を何度か言い放った。酒が進むにつれ、渉の口からはぼやきの数が多くなるが、小森の軽い口調と通る声が、うまく中和してくれる。

 不思議なことに、小森の営業成績は悪くない。抜群というには程遠いが、毎月そこそこの数字は残す。小森の社内での素行を見ているだけに、その数字にはいつも意外な感じを受けていた。

 しかしこういう付き合いをして初めて、小森の営業成績のよさもなんとなく分かったような気がした。

 調子よく進んでいるゲームをなんのためらいもなく終らせ、せっかく儲かったギャンブルの金を惜しげもなく使い、後輩のぼやきを聞き続ける。中々できることではない。もし逆の立場だったら自分はできないだろう、と渉は素直に認めた。しかもそういった行動の中に、「してやってるんだ」という上段からの気配がまったく感じられない。

―─お客の側から見れば、もしかしたらこういう社員が一番安心して付き合えるんじゃないのかなァ。

 駆け引きも損得勘定も感じさせない行動が素でできる小森は、案外営業の達人なのではないのか。時間にルーズなところやつまらないミスで当座の成績は落としているが、長いスパンで見れば人間性のよい味付けになっているのかも知れない、と渉は半分酔った頭で考えた。

「白坂ァ、そんなぼやくなよ。俺だって知らないけど、昔はちょっとのミスで出世の道が閉ざされちゃうなんてこともあったらしいけど、今はそんな時代じゃないしな。大体、こう世の中合併合併じゃなァ。うちだって二年前に外資と合併しただろ。もう以前の仕組みや基準なんかまったく関係なくなっちゃってるんだからな」

 その小森の言っている意味合いはよく分る。しかし今回の大失敗で渉が一番ショックだったのは、出世に響くとか社内の信用を失ったとかの、外的なことではないのだ。そんなことより、自分自身を信用できなくなってしまったという方が一番こたえたのだ。

 一度してしまった以上、またやってしまうかも知れない。なにしろしでかしたことは、学習して次回からは防げるという類のものではないのだ。

 だから小森の慰めは、渉にとっては的外れなものだが、しかし的確なアドバイス以上に心に響くものだった。なんとなく、素直に溶け込んでゆくのだ。

 小森とこういった付き合いができた分、失敗も百パーセント悪かったわけじゃなかったなと、渉は考えを改めることができた。そして、金曜の祭りの仕込みにはとにかく顔を出すぞ、という気力がようやく少しだけわき立ってきたのだった。