まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>流辺硫短編小説集①「お好み焼き」
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 渉が小さかった頃はコンビニやスーパーなどは駅周辺にしかなく、二十四時間営業はほんのわずかだった。テレビも深夜には終了してしまい、住宅地の深夜は静かなものだった。だから、夜が静かだったから、夏祭りや大晦日は今より特別なものだったのだ。その時だけは、人が遅くまで賑わっているのだから。

 そういえばお祭りそのものもずいぶん変わったと、かじろうとしたじゃがバターを見てふと思った。渉が親に連れられていた頃は、じゃがバターなどなかった。

 あの頃の祭りの屋台は、それを専門の商売にしているテキ屋がやっていて、今と比べると画一的だった。綿菓子、かき氷、あんず飴、金魚すくい、お面などのおもちゃ、お好み焼き、たこ焼き、焼きそば、イカの丸焼き、焼き鳥、焼きトウモロコシ、ソースせんべい、ラムネ、そんなところだった。いかに大きな祭りでも、種類は増えずに同じ業種が乱立するだけだった。

 しかしほとんどの祭りでテキ屋を排除した今、屋台の種類は多岐に渡り、百花繚乱と言っていい様相になっている。同じ売り物が並ぶことなどほとんどなく、中には聞いたこともないような民族料理が売られていることすらある。実際ここでも、ベーグルだとかマグロのカマだとか、以前では考えられないようなものがある。

 種類が増えるに越したことはないのだが、ひとつ残念なのは、駅前や大通りで見かけるチェーン店まで出店していて、祭りの持つ非日常性が消されてしまっていることだ。ファストフードやピザの店がトレードマークの看板と制服で飾り立て、特別な雰囲気が薄められてしまっている。なんとも興ざめしてしまう眺めとなっているのだ。

 チェーン店は、祭りからの帰り道までも変えてしまった。祭りは一過性のところがなんともいえないところで、終わった後の暗くさびしい会場とその帰り道にも、味があるのだ。渉は初めて友人たちだけで行った年を鮮明に覚えている。帰り道が印象に残って忘れられないのだ。友人と別れたとたんに霧が出て、淡い電灯の灯る静まり返った道を、泣きながら走って帰っていった。今ではいい思い出で、そこかしこに二十四時間営業のチェーン店が立ち並ぶ現在では味わえない感覚だろう。

 母親が言うには、渉は小さい頃、極度の怖がりだったということだ。まだ小学校に上がるか上がらないかの頃、渉にはお囃子に関する一つの記憶がある。

 毎年夏休みが近付く頃になると、夜の住宅地にお囃子の音色がかすかに響き渡る。

 祭りに向けて寄り合い所で稽古をしている音なのだが、真っ暗な部屋の布団の中で聞くそれは、渉の心を和ませてくれるものだった。

 祭りが近いという期待感ももちろんあった。しかしそれ以上に、今起きている人がいる、と分からせてくれる音色なのだった。暗闇が怖くて仕方のない少年を、あの音色は安堵させてくれた。

「そんなこともあって、お囃子を聞くと心が浮き立つのかなァ」
 昨年の打ち上げで、渉は二人に訊いてみた。すると、それもあるかもなと頷いたあとに俊之助が、
「でも、そんな子供の時の思い出よりも、もっとスケールの大きなものかもしれないぜ」
 と妙なことを言った。
「えっ、スケールって?」
「うーん、そうだな、あのお囃子って、あれ、太古の昔から同じ音色なわけだろ。太鼓とか笛とか楽器も同じだし。だから……」
 そこで俊之助はグイッとビールを煽った。話を勿体つけるのが俊之助の悪いクセだ。

「だからさ、渉の先祖が代々あの音色を聴いて心躍らせたわけだよな。だから俺たちみてぇな文系を卒業した人間が言うのもおかしいけどよ、渉の遺伝子に組み込まれてるんじゃねえのかな」
「お囃子がか?」
「そう」

 酒の上の仲間内での与太話だったが、実際こういった環境で鳴り物に聞き入っていると、あながち俊之助の言葉も捨てたものではないなという気分になってくる。なんだか体の中に原初の感覚がわき上がって来るようだ。

 ふと渉は周囲の、渉より若い世代に優越感を持った。二十四時間賑やかで静まり返る時間のない彼らにとっては、お祭りも単純なイベントの一つで、渉のようにそれ以上の特別な存在として楽しむことはできないだろう。

 しかしそう考えると逆に、大昔の人は今より遥かに侘しくつらい日常だったのだから、祭りに対する気持ちの昂ぶりは渉とは比べものにならなかったに違いないとも思った。渉はものすごく損をした気分になり、もっともっと大昔に生れたかったなと、ぼんやり考えた。

─―そうすりゃ書類なんかもなかっただろうし。

 ふと、そうも考えてしまい、あァまた思い出してしまったと渉は大きくため息を吐いた。

─―まったくもう……。

 渉は口の中だけでゴニョゴニョと呟き、ゆっくり席を立つと仲間の屋台のところへと戻って行った。