まつやま書房TOPページ>Web連載TOPページ>流辺硫短編小説集①「お好み焼き」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ひまだった日中、実際に何度も思い出してしまった。その度に、仕事もろくすっぽできない奴がこんな遊びにばっかりうつつを抜かしやがってと、自己嫌悪に陥ってしまう。わァ、と声を上げてしゃがみ込みたくなる。 それにしても、つくづく自爆だなァと思う。別に客やライバル社員の謀略に嵌ったわけでない。アンラッキーでもなければ、経験不足からくる未熟さということでもない。まったく本当に、ただ単に、なのだ。例えば、総会屋と付き合って補った取締役などのように、仕事上どうしても逃れられない違法行為で運悪くワリをくってしまう人だっている。それはそれで無念には違いないだろうし、やり切れないに違いない。しかし、ない物ねだりだが、と渉は思う。今の自分と比べるとよっぽどカッコいい……。 自分の失敗は、まるで子供だ。小学生が、せっかく昨晩大変な思いで宿題をやったのに、家にノートを忘れてきました、なんていう。 七時半をすぎ、さすがに独占しすぎるのもなんなので、俊之助に代わってもらう。ピークの時間でぶっ通し焼き続けて体を酷使したからか、気持ちも少し落ちついてきた。二人に勧められて休憩を取り、渉は売り上げから少し引き抜くと、祭りをぶらつき出した。 ビールを片手に、目に付いたつまみをちょいちょい買いながら、子供の頃のように気分を高揚させて歩き回る。 渉は毎年、この時間が大好きだった。けだるい熱気の残る夏の夜に、お囃子の音と行き交う人々の話し声。お面が並び、おもちゃが山になっている出店の横には綿菓子のビニールが葡萄の房のようにぶら下がっている。その隣には一台のスマートボールと、大きな氷のくぼみに並んだあんず飴。樹々の間を煙が立ち込め、焼けるソースの匂いがあちこちから漂っている。 元々、八月の終わりというものは夏休みの終わりということで、寂しい気持ちになるものだ。子供の頃から刷り込みをされている、誰もが持っている感覚だ。その八月最終週に加え、この祭りのシチュエーション。渉は毎年この時間、ひどく感傷的な気分に陥る。それがまたよいのだ。これこそが贅沢な楽しみ。なにも面白おかしいことだけが楽しいことではない。寂れた裏通りの風景画や写真、勝負事の敗者を追ったドキュメンタリーなど、世の中には感傷的なものも立派に娯楽となっている。 あの頃はよかったなァ、なんて言葉が自然に心の中にわき上がってくる。いつもはそんなノスタルジックな気分も重要な楽しみの一つだったのだが、今年は仕事の一件が、言葉どおり、あの頃は本当によかったとしみじみ回顧させてしまう。そして、ひどく憂鬱な気持ちになる。 石の階段を上がり、社のある広場に行く。社は周囲の戸がすべて取っ払われ、即席の舞台となっていて、祭りの間、様々な伝統的な出し物が催されている。 今は、お面の男二人がお囃子に合わせ、物語調に舞っていた。渉は社に向けて並べられているパイプ椅子の一つに座り、ビールを飲み、串に刺したじゃがバターをかじりながらしばらくそれを眺めた。 ここにこうやって腰を落としたのは初めてだった。歌舞伎も能も狂言もまったく区別がつかない渉だったので、階段を上がって来ることはあっても素通りするだけだったが、今年はなんとなく目の前の伝統芸能が体の奥底に響いた。 ビールはすっかり生温くなってしまったが、渉はかまわずチビチビと乾していった。屋台のいたるところで売っているビールだが、買うとバカにならない金額なので、渉たちは大きめのクーラーボックスで大量に持ってきていた。だから一旦戻れば冷えたものがすぐ手に入るのだが、しかしなんとなくここから立ち上がる気が起きず、心地好いお囃子の音色に聴き入っていた。 |
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