まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>流辺硫短編小説集③「雪下ろし」
4/8(2011.1.10更新)



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 五十嵐の電話から三日経ち、名簿にマル印はいくつか付いたものの、バッテンの数もそれ以上に増えて、並ぶ名前の三分の二を占めていた。

 名簿のノートは八年使っているだけあって、角が擦り切れてぼろぼろになっている。なんとなくパラパラと捲ってみる。まだなんでも屋を始めた当初、あの仕事がなくてひまだった時期などが思い出され、懐かしい。

 おれは机に肘をついて、ノートを見ながら回想に耽った。


 大学に入学したおれは、山登りとスキーのクロスカントリーを専門にしているサークルに入った。授業などほとんど出た記憶のない大学生活で、サークルの部室にいるか、さもなければ山に篭っているかの四年間だった。

 居着いた分サークルのためによく動いた。だからか、先輩からもかわいがられ、二年生で早くも副部長になった。当然、三年、四年の二年間は部長だった。祭り上げられたのも事実だが、おれ自身まとめ役となって、仲間たちと計画を練り上げていくようなことが好きな性格でもあった。

 アパートには後輩たちが居つき、溜り場となっていた。よく酒を飲みに行き、酒の場では、将来トモ先輩が何かやるんだったら必ず声を掛けてください、と酔った後輩たちに言われた。コータもその一人だった。

 親の手前、一応就職活動をして新卒で就職したものの、あっさりと二年で辞めてしまった。そして多少の預金を元手に、今の『友田なんでも屋商事』を始めたのだった。

 今でこそ、そこそこ仕事が入るようになったが、当初は信用もなく、予定表のカレンダーには空白の日が続いた。

 まぁ自分の身ひとつだし、金のかからない生活をしていたので、別段焦りはなかった。本当は田舎に住み着いて農業を始めてみたかったのだ。しかしまだ若く、篭ってしまうにはまだ早いと思い、人間くさい仕事をと考えて思い付いたのがなんでも屋だった。毎日が退屈しないような様々な、時には変てこりんな仕事が来ることを期待していたのだが、現実はそううまくはいかず、掃除や引っ越しなど一般的な仕事すらも滅多に来ない始末だった。金はほとんど入らず、家賃や生活費のために短期のアルバイトをしたこともあった。確かに金のないのにも困ったが、しかしおれはどちらかというと、ひまな時間の方がまいった。なにしろじっとしているのが嫌いで、体をいじめていた方が好きな気質なのだ。その頃おれは、意味もなく朝晩三キロずつのランニングをしていた。

 ある冬の日に電話が掛かってきた。それは大学卒業後、東北の実家に戻っていた先輩からだった。

 おれが、独立したはいいが、仕事がなくて困っているという話をどこかから聞き付け、心配になって連絡をくれたとのことだった。どうやら本人よりも、周りの方が心配していたらしい。

 先輩は、仕事を一件見つけてきたと言った。仕事内容を尋ねると、先輩はうーんと少し唸り、金にはならんがと小さく呟いてから、話し始めた。

「おれが釣りでよく行く村があるんだけどなァ、若い連中がみんな村を離れちゃって、雪下ろしができなくて困ってるんだよ。なんとか自分たちでやってるんだけど、みんな年寄りだから毎年のように怪我人が出てなァ。

で、お前のこと思い付いたんだよ。まぁみんな年金で暮らしているような村だから、報酬は微々たるもんしか出せないんだけどな。でもその代り、三食と寝泊まりがタダでいいって言うんだ。どうかな」