まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>流辺硫短編小説集③「雪下ろし」
1/8(2010.12.10更新)



(1)


「今年はだめなんスよ……」

少し間を置いて、実は結婚することになったんです、と言葉が続いた。

 本来ならここで、明るくおめでとうと言い、続けて祝福のセリフでも二、三並べてやるのが道理というものだろう。今まできつい仕事も文句一つ言わず、黙々とこなしてくれたかわいい後輩なのだから。

 しかし、おれはそれができなかった。期待が大きかった反動で、ヤツのめでたい話に、どうしても素直に反応できなかったのだ。

 数秒の沈黙のあとに出てきたのは、溜息交じりの、そうか、という一言だけだった。

 電話を切った瞬間から、後悔が全身を包み込んだ。おれはなんて薄情な男なんだ、と。しかし過ぎてしまったことを気にしていてもしょうがない。ヤツにはせめてもの罪滅ぼしに、祝儀をはずんでやることにしようと心に誓った。

 五十嵐もダメかァ……。

おれはノートの名簿に×印を付けた。もう、並ぶ名前の三分の一に、バッテンが付けられている。いずれも今の五十嵐のように、断りの電話を掛けてきた者だ。

 案内の通知を送って、もうすでに一週間。未だ名簿に承諾のマル印が付いている者はいない。このままでは今年は全滅かもしれない。印の付いていない、断りの連絡を受けていない三分の二から承諾の返事が来ることは見込み薄だ。毎年の例からいって、すぐに連絡を寄越さない者はこちらから連絡を取っても断られるのが相場だからだ。

 むしろ早々と×印が付いている連中の方が、連絡をちゃんとくれるだけ誠実といえた。

 ふう、と大きくため息をはいたおれは、松葉杖を手に取って事務所を出た。

 通りに出て、自動販売機の前で小銭入れを出す。しかし買おうと思っていたブラックのホットコーヒーが売り切れになっている。おれは仕方なく、コンビニに向かった。

 晴れ渡ってはいるが、さすがに十二月に入ると、空気が乾いて冷たかった。ジャンパーを着てくればよかったと後悔したが、わざわざ取りに帰るのも面倒くさい。元々コンビニまで行こうとは思っていなかったのだ。

 店に入り、奥のジュース売り場に向かう。事務所の中はあったかいので、冷たいのを買って行こうと思ったのだ。ジュースを取ろうとガラスの扉を開けようとするが、重い扉は両手が使いづらい身では中々開いてくれない。しばらく手間取っていると、横にいた大学生風の女の子が、取りましょうかと言って扉を開けてくれた。

 その女の子は結局、おれの指差したコーヒーをレジまで運んでくれた。コンビニで見知らぬ女の子から声を掛けられるなんて、足でも骨折していなければ到底考えられないことだった。

─こうしてみると、骨折も悪くないもんだなァ。

 おれはそんな不謹慎なことを考えながら、通りをゆっくり、事務所へと戻って行った。


続く
次回は12月20日更新です。