まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>流辺硫短編小説集④「相続」
9/10(2011.5.30更新)



(8)


「わぁ……」

 江東区役所で出された書類を見た瞬間、京行は小さく悲鳴を上げてしまった。二通の除籍謄本に混じって、告知書などという何やら薄気味の悪いB5の紙が出てきたからだった。

 その紙を見つめながら、受付の女性の説明を聞いた。

 要は、京行の請求した除籍の一つは、昭和二十年三月の戦災で消失してしまい、交付が出来ないとのことだった。

―とりあえずすぐにファックスしなきゃ。

 京行は区役所を出るとコンビニに駆け込み、昨日言われたようにコピーを取ると、その場にあるファックスにコピーしたものを差し込み、塚田事務所のファックス番号をプッシュした。

 待つこと一分、サーッという音だけで一向に読み取っていかないファックスに苛立ち、店員に尋ねるとめんどうくさそうにファックス使用可のスイッチをカチッと入れた。ファックスをよく見ると、使用前に店員に申し付けくださいと書かれていた。

――なんだよ、言ってくれればいいのに。

 もう一度番号をプッシュすると今度は繋がり、紙が次々機械に飲み込まれていった。

 コンビニから出て数分後に事務所に電話を掛けると市本が出た。

「こちらも今掛けようと思っていたんです」

「大変なことになりましたね」

「なりましたね」

「告知書、びっくりしました」

「えっ、あ、告知書ですか。あれは大丈夫です。大したことありません」

 えっ、と拍子抜けした声で市本の続く言葉を聞いた。

「除籍謄本を二通取りましたよね。問題はあの二通目です」

 江東区役所で出てきたのは除籍謄本が二通と告知書一通。まず一通目の除籍謄本は父克晴の兄善一が昭和二十年に家督相続をしてからのもので、三年後の昭和二十三年に中央区に転籍するまでの期間をフォローしていた。これで昭和二年生れの克晴の、十九歳からの証明が揃ったことになる。もう一通の除籍謄本が問題のもので、昭和十七年、克晴の父伝次郎がその父より家督相続を受けて昭和二十年に長男の善一に家督相続している。この籍におとなしく克晴が載っていてさえいたら何の問題もなかった。しかし昭和十八年九月、克晴はこの籍を出ていたのだ。養子縁組をし、養親の籍に移ってしまったのだ。その籍が何と山梨県山梨市だった。そして翌十九年三月、養親と離縁し、再びこの父親の籍に戻っているのだ。

 何故たった半年、しかも戦時中という慌しい時期に養子縁組をしたのかは分からない。しかし、その半年分の戸籍の空白を埋めるために山梨市に行かなければならないことだけは事実なのである。

 なお、告知書については別段問題はなかった。

 たしかに昭和十七年以前、父克晴が十五歳以前の戸籍を集められなくなった訳で、十二歳まで遡れなくなり、他に相続人がいるという可能性が書類上は出てきてしまった。

 その場合はどうするか。意外にも方法は簡単で、昨夜市本が村中家に渡した遺産分割協議書に告知書を添え、消失により戸籍は付けられませんでしたが、私達の他に相続人はいません、という内容の一文を付け足せば事足りるのだった。

 法務局としても相続人全員がいないといっているのだから間違いはないだろう、ということなのだろう。

「まったく遠いところが出てきましたねェ」

 市本の声は落胆していた。あと一歩で全て揃うところだったので、残念な気持ちが素直に出てしまったのだった。

「じゃあ、今から向いますから」

 対する京行の方はこともなげに市本に伝えた。

「いいんですか、山梨まで」

「えっ、だって必要なんですよね」

「そうですけど、遠いので……」

「大丈夫ですよ山梨なんて」

 京行は声のトーンを強めて言った。

「甲府より手前だし、鈍行でも高尾から一時間半ですよ。まだ午前中だし十分間に合いますよ」

 今回の件で初めて市本より京行の威勢が上回った。京行は恐縮する市本に、本当に大丈夫だからと念を押して電話を切った。そして、足取りも軽く東陽町の駅へと向かって行った。

 中央本線は庭みたいなものだという意識があった。それに行き慣れていて、山梨市役所の場所まで知っている程なのだ。

―都内なんかより、よっぽどいいや。

 京行は足取り軽く、地下鉄の階段を下りていった。