まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>中島茂の点描 マッカーサー>第二章 はじめに



メリーのレター作戦
その一 鉄道王エドワード・ハリマン宛の手紙

 一九〇九年、この年はダグラスの生涯の中できわめてまれなことですが、彼は精神的にたいへん落ち込んで成績が上がらない時期がありました。父アーサー、このとき中将は多年の夢として陸軍参謀総長職を狙っていました。しかし、ある有力筋の反対者があり彼の夢はかなわず、ミルウオーキー市で悶々の日々を送っていたことがあります。落ち込んでいた彼は神経衰弱にかかり、ひどい胃酸過多症を患うようになりました。

 この、父の影響をダグラスはもろに受けるようになりました。陸軍の勤務の成績は下がる一方でした。強い親子の絆がこのような悪いほうにも現れてくるんですね。ダグラス工兵中尉のときでした。

 家族がこのような悲惨な状況に陥ったときでも、超勝気で行動力のあるメリーは家族と一緒になってこの不遇をかこち、落ち込んでいるような女性ではありません。彼女はある大胆な行動を起こします。彼女は陸軍という息子の職業の将来性に自分ひとりで見切りをつけました。そして、息子には無断で鉄道王ハリマン宛に手紙を書き、息子を就職させてほしい懇願しました。

 当時、西へ西へと西部開拓が進むとともに伸び、張りめぐらされ発展を続けていた鉄道会社こそ、有能な息子の将来を託するにふさわしい会社であると彼女は一人で考え込んでしまったんですね。

 軍歴はもちろん、有能な息子であること、どのような任務を与えられても立派にやり遂げられる精神力と柔軟性を備えた子であること切々と綴ってハリマンに訴えました。

 ハリマンのユニオン・パシフィック鉄道会社は早速ダグラスの身上調査を始めました。

 しかし、彼女の熱意も空しく、この問題はあっけない結果に終わりました。ダグラスには陸軍を辞める気など毛頭なかったからです。

 この母親の「勇み足」があった直後から、ダグラスの軍における士気は上がっていきました。

 父、アーサー・マッカーサー中将は、このことがあってから三年後、南北戦争の戦友会で演説中に急死しました。

その二 パーシング陸軍参謀総長宛の手紙

 息子ダグラスの優秀性を信じ、常に立身出世を願っていたメリーは、息子の昇進が遅れだしてくると、とたんにいらいらしてきて黙ってはいられない性質の女性のようでした。

 もう七年も昇進していないと、一九二四年九月、彼女はパーシング陸軍参謀総長宛に自分の息子を少将に昇進させてほしいと綿々と綴った手紙を書き送りました。これが効いたんでしょうか、彼は一九二五年一月付けで米国陸軍史上最年少の(四十四歳)少将になりました。これ、母メリーの作戦勝ちというべきでしょうか。(もちろん、ダグラス本人の資質が本命でしょうが)