まつやま書房TOPページ>Web連載TOPページ>中島茂の点描 マッカーサー>第一章 | ||||||||||
それでもゆるがぬマッカーサーの「武士道」観 アジア、太平洋における日米の覇権争いは、米国の圧倒的な勝利となり日本は無条件で降伏しました。 天皇の終戦のラジオ放送があった日から二週間後の八月三十日、ダグラス・マッカーサーは厚木に上陸してここに日本占領が始まりました。 日本占領開始の第一歩は「降伏調印式」です。上陸から三日後の九月二日午前、東京湾外に浮かぶ米国旗艦ミズーリ号上でダグラス・マッカーサーの指揮の下、荘厳な日本降伏調印式が催されました。日本政府の全権代表、外務大臣重光葵は、米英はじめ交戦主要国側の大勢の委員たちが見守る中で降伏文書に署名して戦争を停止し、ポツダム宣言に忠実に従うことを約束しました。 宿敵日本を倒し、アジアの、いや世界の覇者になったアメリカ、その総司令官となって常に先頭に立って日本と戦ってきたダグラス・マッカーサーの得意や思うべし、とは誰しも思います。調印式が終わったその日、あるいは次の日でもよい、長年苦労をしてともに戦ってきた部下たちと共に、心いくばかりの祝宴をあげる、人は大抵そうします。しかしマッカーサーは、そのような、誰でもするようなことは絶対にしない、超変わった人だったんですね。 祝宴のことはさておき、もうマッカーサーの心の中には日本の「武士道」とか父から囁かれ続けてきた「乃木希典のような軍人になれ」などという教えはこのころでは雲散霧消していたであろうことは、日本人なら誰しもそう考えます。 ところがマッカーサーは、この調印式が終わった日の午後、考えられないような奇怪な行動をとるのです。それが次項です。 第一話 バスを仕立てて鶴岡八幡宮参拝 なに! マッカーサーが鶴岡八幡宮参拝だと、そんなことはあり得ないよ! 変な冗談はよしてくれよ、と誰しも叫びたくなります。ところが、冷静な新聞、読売報知の九月十八日刊は大要次のように報道しています。 『九月二日午後三時ころ、十四名の米軍将官が一台のバスに分乗して到着した。 一行は終始神社の礼式に従って参拝を済ませた。
第二話 乃木邸訪問とハナミズキ植樹 鶴岡八幡宮参拝をいち早く済ませたマッカーサー元帥ですが、彼の心中を強く支配していたのは乃木大将のことと思われます。しかし、彼が参拝を心に描いていた乃木神社は、彼が上陸してきたときには跡形もなくなっていました。 大正十二年、東京港区赤坂に創建された乃木神社は、終戦の年の五月二十五日の大空襲で焼け落ちてしまいました。再建され、現在の姿になったのは昭和三十七年でした。 つまり、トルーマン大統領との確執によって罷免され、昭和二十六年に帰国したマッカーサーは当然この新装の乃木神社を見ていません。 乃木神社は無くなりました。しかし、神社に隣接する乃木邸は焼失を免れ残っていました。この乃木邸は現在東京都の管理下にあり、乃木大将夫妻の遺品の数々が展示されています。夫妻の命日に当たる九月十二,十三日の両日は一般に公開されていますので、参観者は将軍の遺徳を偲ぶとともに、夫妻の質素な生活ぶりを知ることができます。 マッカーサーは上陸後焼失を免れた乃木邸にいちはやくMP(米軍警察、Military Police)を配備しました。おそらく、終戦後すべて国内の思想抑圧が消滅した結果から生ずる、不平分子の破壊行動を考慮した措置と思われます。 マッカーサー手植えのハナミズキ。この乃木邸にはマッカーサーの遺品ともいうべきものが残されています。彼は乃木邸の庭にアメリカのポピュラーな花、ハナミズキを、彼の崇拝する乃木大将に捧げる記念として植樹しました。この木は現在かなり大きく成長しています。春五、六月ころになると馥郁とした香りを放ち、大きな白い花を咲かせるこのハナミズキを見ることができます。そこに人は、マッカーサーが終生崇敬し続けてきた乃木大将への心情のシンボルをみることができます。 (次回のテーマは「マッカーサーと彼を取り巻く女性たち」の予定です。 |
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