まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>中島茂の点描 マッカーサー>第二章 はじめに




はじめに(2)


 次は日本の場合ですね。

 占領軍が日本に上陸してきたとき、日本人は大きなパニックに襲われていました。つい先ほどまで日本軍と死闘をくり返し戦ってきた屈強な米兵たちが、それまでの敵日本人に対する憎しみや戦場での苦労のウサ晴らしに、何をしでかすかはわかりきったことです。暴行、傷害事件、強窃盗、婦女暴行とうの恐怖に日本国民はおびえていました。陸軍の一兵士として終戦を迎え故郷の網走に復員した私も、そのような国民の一人でした。

 京浜地方では陸軍の指導で婦女子の疎開があわただしく行なわれ、運輸省は疎開者に対する無賃乗車の便まではかっています。日本は、自分はどうなってしまうのだろうと不安でいっぱいでした。
米軍がぞくぞくと上陸してきて日本各地に基地やキャンプ、宿舎村などができ、米軍が配置されました。つまり、日本社会の中に彼らが入ってきて日本人と混在していやおうなしに彼らと相対して生活するようになりました。

 かれらがやってきてから一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月経ちました。そして日本人はオヤオヤと思うようになりました。

 あのように心配していたことは、まったくうそのように、われわれの目の前にいる米兵たちは常にニコヤカで優しく振る舞い、しかし一方では規律の正しい兵隊たちでした。当時の大きな都会の街角で見られる最も代表的な光景は、群がる浮浪児にキャンデー、チョコレートを与える和やかで明るい米兵たちの姿でした。

 まったく事件がないというわけではありません。ときとして路上での暴行、傷害、婦女子が襲われるということもありました。一方、米軍当局としてはそれらの事件をできるだけ隠そうとした、ということもあり得ることでしょう。ですがそれは日本人一般が恐れていたような規模ではなく、かえって彼らは日本人が想像していなかった規律の正しい軍隊として振舞ったので日本人はみな驚いてしまいました。
これはまさに奇跡です。どのようにして米軍に、米兵たちにこのような厳正な規律を守らせることができたのでしょうか?

 ここで皆さんに、前編の「ダグラス・マッカーサー親子と武士道」の叙述の中にある、「バスを仕立てて鶴岡八幡宮参拝」という項目をもう一度振り返っていただきたいのです。この中で参拝に訪れた米軍高官の一人がマッカーサー元帥であることに気づいてあわてて応対した恩田宮司が、あとでしみじみ述懐して、こう語っていますね。


「突然の訪問と元帥の動作、言葉は終始おだやかで敬虔な態度を持しておられたのには感服しました。その後も時々米軍の指揮官や兵たちが参拝に来ますが神社の規則をよく守り、公徳心の厚いのには感服します。これもひとえに総司令官の人格が下の方にまでよく反映しているからではないかと思ひます」


 もう説明の必要はありませんね。恩田宮司がズバリ指摘しておりますように、あの米兵たちが日本の街角で見せるおだやかながら厳正な規律は、一にかかってダグラス・マッカーサー最高司令官の人格から発する威令によってもたらされたものではないかということです。
さてここまで書き進めてきますと「はじめに」の文章としては長すぎますよね。読者の中にはそろそろ本論(マッカーサーと彼をとり巻く女性たち)のほうに入ってくれよ、との声も聞こえそうです。そうですよね、「はじめに」を締めくくる前に次の状況をも多少付け加えて本論に入るようにしましょう。

 鶴岡八幡宮や乃木大将の旧邸の訪問、そしてそこにハナミズキを植えたダグラスの心情、それは彼が太平洋戦争後も日本の武士道を忘れ得ない心の発揚から出た行動だったのですが、そのほかに、戦災から免れ生残った日本人たちの心を大きくゆさぶったマッカーサーの行為があります。それは日本に対する食糧援助です。敗戦後の食糧不足で日本人の一千万人は餓死するだろうとの噂が巷間に流れているときでした。

 このときに日本人は見ました。米軍は戦争をやめさせ、軍国主義を排し、新しい民主国家建設を推し進めている。そしていま大量の食糧を本国から輸入して日本人を飢餓から救おうとしている。マッカーサーの軍隊は侵略軍ではなく解放軍だ。マッカーサーは救世主だとの思いが日本人の頭の中に刻みこまれていったのです。

 日本人のマッカーサー元帥に対する思いは ― 感謝、尊敬、賛仰、さらに一部の人にとっては神、イェスキリストの再来と熱を帯びてエスカレートしていきます。

 これら日本人の熱い思いは手紙という形でダグラス・マッカーサーに送られていき、かれの在任中の五年八ヶ月間に総司令部宛に送られたものを含めて推計五十万通という大きな数字になっています。

 これら手紙の目的、内容は種々ですが、その多くは日本人の男女を問わず、マッカーサーに対する感謝と期待で綴られております。女性の場合はとくにマッカーサーに抱く熱い想いが感じられる内容で、いま読むと私のようにあの戦争に従軍してマッカーサーと戦った、つまり当時の事情をよく知る老人でもビックリしてしまいます。

 戦後生まれの人たちが読めば驚きを通り越して「この人どこの国の人、そこまで言うか!」とあきれてしまうかもしれません。それらの、マッカーサー宛のレターについても本論で述べるようにしましよう。

 まずマッカーサーに影響を与えた彼の周辺の女性のうち、ずばぬけた筆頭格としてかれの母、メリーから入っていきましょう。





次節「偉大な母メリー」は5月5日更新予定です