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足利競馬場(8) 2011.2.5



(5)


二〇〇三年三月三日 Ⅱ

 今まで、俺は足利競馬の広告塔だった。友人には競馬ツアーで足利に足を運ばせ、競馬をやる知り合いには足利競馬の魅力を語り尽くした。誰に頼まれたわけでもないのに、俺はそうした。俺にとっては本当に魅力的だったからだ。

 その魅力は、競馬場の規模が俺のマイナー嗜好に合ったという感覚的なものだったので、この感覚を共有できない者にはうまく伝わらなかった。しかし少しでもこの感覚が分かる者だったら、それこそ語るべき内容は多かった。

 俺はここに来る度に指定席に入った。大体四、五人で行くことが多かったが、指定席券を売るおばちゃんは、仲間とかたまって席を取る連中には、ゆったりスペースを使えるようにと、両隣を空席にしてくれるのだ。こんなこと中央競馬で考えられるか! まあ中央競馬の指定席は空くスペースもないんだろうが。

 そして指定席では、飲み物が飲み放題。俺は何杯コーヒーを飲んだことか。ひとレースごとにお替りに行ったって、嫌な顔ひとつせず地元のおばちゃんがコーヒーメーカーから注いでくれるのだ。

 指定席はいつもすいていて、のんびりしたムードで、いかがわしそうな人間もいなかった。奥まで行けばパドックも上から眺められた。俺にとっては千円払っても入る価値のある場所だった。唯一の欠点はゴール前に位置していないので、僅差のレースの時に着順が分かりづらかったことだ。が、これくらいはしょうがない。だからすいていたのかも知れないからだ。

 今日はしかし、指定席には入らなかった。場内のさまざまな場所をうろついて目に焼き付けておきたかったからであって、決して金がなかったからではない。

 今にも降り出しそうな空模様だが、俺のディパックには百円ショップで買った黒い折り畳み傘が入っているから大丈夫だ。

 結構関係ないように見えて、この百円傘と足利の廃止に、密接な意味合いがあるのかも知れない。

 また清張ばりの仮説の始まりだ。俺って奴は本当にポンポンとこの手の仮説が出てくるもんだ。せっかく音楽をやめんだから、これからはよく動く頭を大事にしなくちゃいけない。

 で、仮説だが、俺が競馬を本格的に始めた十年前は、とてもじゃないが百円で折り畳み傘なんて買えなかった。それどころか百円ショップそのものがなかった。景気は悪かったが今ほどではなく、それ程目くじら立てて価格破壊! なんてことになってなかったからだ。

 それが今や住宅地なら百円ショップがあって当たり前。売ってる物も昔のような子供騙しのプラスチック製品だけじゃなくて、食品、衣類その他、えっこんなものまで、っていうのも揃っている。

 折り畳み傘だって何度使っても大丈夫なくらいしっかりしている。需要に合わせて技術も進んだからだが、その百円の価値がずっと変わっていないのが競馬なのだ。だから不況の波をもろに被ってこの現状、ということもあるかも知れないのだ。




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(2011.2.15更新予定)
※『北関東から競馬がなくなる日』は曠野すぐり氏が新風舎にて刊行した
同書名著作物を改訂したものです。