まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>北関東から競馬がなくなる日(曠野すぐり
足利競馬場(3) 2011.1.5



 十年くらい前から俺は競馬に凝り、毎週欠かさず競馬新聞を買い、深夜の検討を週末の習慣とした。金はあまり賭けなかったから実質的損害はさほどではないが、時間を取られる、気持ちが音楽に向かないなど、目に見えない部分での損害は恐ろしく大きかっただろう。

 しかしその頃は、バンドに支障をきたしているとは気付かなかった。

 まだ景気が今ほど悪くなくて、あの平成初頭に起こった空前の競馬ブームの残党が、俺の周りでもゴロゴロしていたからだ。元々俺の部屋にはいろんな奴が出入りしていたが、競馬によってそれが更に増え、その中からバンド仲間が見つかったりライブのチケットが捌けやすくなったりと、むしろいい方向だなと思っていたくらいだった。土、日になるとほぼ毎週、数人で府中競馬場に行ったものだ。晴れた日は四コーナー付近の芝生にシートを敷き、ピクニックのように楽しんでいた。

 それから俺は、更に深く凝っていった。元来凝り性でマニアックな気質なのだ。ロックだってビルボードトップ40から入門してロックの王道を遡って行き、ビートルズまで行き着くと今度は一転、イギリスのインディーズ・チャートとアメリカのカレッジ・チャートを追いだしたほどだ。そんな性格なもんだから、テレビでも放映され、GⅠレースとなるとスポーツ新聞の一面になる王道の中央競馬で満足する筈がない。俺は地方競馬の方に、凝り出したのだ。

 日本には二種類の競馬がある。国のやっている中央競馬と、県や市、地方自治体がやっている地方競馬だ。公営競馬とも言う。

 勿論、地方競馬の方が規模が小さく、マイナーな雰囲気が漂う。俗に草競馬と言われているくらいだ。

 マニアックな俺は、王道でないものの方により共感を持つ。ビートルズよりもストーンズ、ビートルズならジョンよりもジョージ。そんな感じだ。都内に住んでいる俺はそれまで中央競馬の府中競馬場が定番で、地方競馬は何度か、トゥインクル・レースで有名な大井にしか行ったことがなかった。大井はたしかに地方競馬だが、正直その時はピンとこなかった。たくさんの人で賑わっているし、オシャレな雰囲気も漂う。中央競馬のちょっと小型版と思ったくらいで特に感動がなかった。しかしある日、友人数人とドライブを兼ねて栃木の足利競馬に行って、俺は体中に衝撃を走らせてしまった。いや、その規模の小さなことと言ったら!

 例えれば、中央競馬がオリジナルアルバムだとしたら、足利競馬はブートレッグだった。GⅠレースともなると十万人以上集める中央競馬に対し、足利は一日の入場者数が二千人、三千人という世界なのだ。

 俺は自分だけの小さな宝物を見つけたような気分になった。もっと極端に言うと、別荘を手に入れたような気になったのだ。
 それから俺の、足利通いが始まった。二ヶ月に一回程度、その日予定が空いている奴とつるんで、競馬ツアーを敢行したのだ。

 その他にも全国、地方競馬を訪ね歩いた。野に咲く小さな花を求めるように。

 競馬を核とした仲間たちとの珍道中は、自分がまるで吟遊詩人になったかのような気分にさせてくれた。三十代になると、競馬の研究とツアーで一週間ギターに触らないなんてこともざらだった。

 でもかまわねェ。ロックはテクじゃなくて感覚だからな、なんてのんびり構えていた。クラシックじゃないんだ、なんて……。

 そう、今日のお題である、何故他人からはミュージシャンと見られないのか、である。

 今解説した二つの要因からなる活動期間の短さの他にもう一つ、了子と友人数人から指摘を受けたことがある第二の、そして根本的な理由。

 それは、俺のテク、まぁテクニックだな、それの欠如だ。

 小学生の時、そろばんは四級で頭打ちだったし、文字は金針流ではないもののくせ字で、褒められたことは一度もない。手先がそれ程器用ではないのだ。それがまったく練習をしなくなったのだから、たまったもんじゃない。それでいてギターで喰ってくなんていつまでもぬかしやがる。女が逃げ出すのも当然の話だ。

 もし俺にテクがありゃ、ドラムやベースが見つからないって理由はクリアされていた可能性が高い。上手けりゃ一緒にやりたいって奴も自然と出てくるだろうしな。実際、セッションをやって二回目に断られたことが何度もあった。

 この日記が説明調なのは、俺が有名になった後に公開され、人々の目に触れた時を想定してのものだ。もう一人の自分が頭上で、まったくもってバカらしいってせせら笑ってやがる。第一ここ数ヶ月、スタジオにも入ってない。活動は停止した状態だ。
 会社なら休眠してしばらくすりゃ、お上が引導を渡してくれるらしいが、俺も誰かにそうしてもらいたいもんだ。あっ、一年前の了子がしてくれたか。でも俺が無視したんだなァ。

 よし、じゃあ結局は自分自身でやるしかない。俺は二日後、自分に引導を渡すことに決めている。その日は俺の日記史上初めて、ライブで書き込んでゆくのだ。





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(2011.1.15更新予定)
※『北関東から競馬がなくなる日』は曠野すぐり氏が新風舎にて刊行した
同書名著作物を改訂したものです。