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足利競馬場(2) 2010.12.25


(2)


 二〇〇三年 三月一日

 昨日の日記を読み返してみて、一部訂正しなければならないことがあった。日記ではミュージシャンと断言しているが、実はちょっと違う。

 高校を卒業した俺は、ミュージシャンを目指し、邁進して来た。

 自分ではそう思っているのだが、それが傍から見ると、どうもそうではないようなのだ。ギターを弾き続けてきたとは、見えないらしいのだ。

 今日の日記では、そこのところを検証していきたい。

 まず、その活動実績からだ。

 十九で俺は友人、知人にミュージシャンを表明し、自、のみで認めるミュージシャンになった訳だが、現在までの十余年間の中で、実際にバンドを組んでいた時期は、全部つなぎ合わせても六年分位あるかないかなのだ。だからどうも他人が見ると、あいつは音楽活動などしていなくて、ただフラフラしていただけなんじゃないか、ということになるらしい。

 しかしこれには弁解がある。俺のせいとも言えない部分があるからだ。

 まず、バンドと言えば、ボーカル、ギター、ベース、ドラムの四人が基本だ。まあ他にもいろいろと、キーボード、ピアノ、サックスなどとごちゃごちゃ付けるバンドもあるが、先の四パートがバンドの基本であることは、これはもう明白な事実だ。なにしろイアン・スチュワートが最後までストーンズのオリジナルメンバーじゃなかったんだから。

 基本なだけに、この四パートのうちの一つでも欠けると、バンド活動は頓挫してしまうということになる。この四パートが、各二十五パーセントずつの割合で世の中に存在してくれたら、俺は実質的活動期間が六年などという体たらくにはならなかったはずだ。しかし現実はといえば、世の中に存在するパートの割合は、ボーカル五割半、ギター三割半で、あとの一割でベースとドラム、しかもその一割もほとんどがベース、と、そんなパーセンテージになってるんじゃないかと、俺は考えている。

 俺がベースかドラムだったら話は早い。しかし残念ながらマジョリティに属する俺としては、世の中の何処に息を潜めているか分からないマイナーなパート二種類を見つけ出し、ちゃんとバンドの形を整えることに、実に多くの時間を割かれてしまった。

 だから活動六年という事実は、俺の怠慢が原因ではなく、世の中に存在する確率の所作であり、言ってみれば俺の方だって犠牲者でもあるのだ。

 この話を酒場でした時、ある友人がニヒルな笑いを浮かべて、

「そいつは逃げの理論じゃないのかなぁ」

なんてぬかしやがったので、俺は、

「じゃあ四人の仲よしグループをいくつも作るとして、ちゃんと四つの血液型を散りばめて集めなけりゃならないとしたら、どうだ。ちょっと難しいだろ?」

 と、ちょっと睨みながらやり返した。

 友人はウーンと唸って、確かに難しいなと認めた。その友人の趣味が占いで、血液型に大いに関心があるというバックボーンを考慮に入れての返し業だった。

 俺にはこういった、酒場での会話や過去の日記などに、松本清張もかくや! と思わせるような自説が数多くあり、もしかしたらギタリストよりも作家になった方が合ってるのかしらん、と思ってしまうのだが、しかしやはりギタリストの魅力には抗えないのだった。清張とキース・リチャード、どちらがカッコいいかと問えば、答えは一つだ。

 で、どこまで書いたのだろう。そう、我は確率の犠牲者、というところまでだ。なにしろドラム抜きで強引にライブを決行したこともあったくらいだ。レコードデビュー前のビートルズの顰にならって。

 しかしメンバーがそろわなかったことの他にもう一つ、俺の活動が六年足らずの理由があるのだ。あまり書きたくないことで、今まで日記に一度も書き記したことはなかったが、今日、ここにあえて記す。

 俺はギターの他にあることに凝り、それがバンド活動を大きく妨げたのだった。

 それは競馬だった。




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(2011.1.5更新予定)
※『北関東から競馬がなくなる日』は曠野すぐり氏が新風舎にて刊行した
同書名著作物を改訂したものです。