まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>人生ぶらぶら散策記(沖田数馬)第九話
(2011.3.10更新)



さよならミニカ


 自営業を始めるにあたって車を購入した。軽自動車で、価格交渉をして車体本体はまけてもらったが、純正カーナビ、オプション追加でそこそこの値段になった。現金で払える状態であったが、運転資金がなくなるので、ローンを組んだ。ディーラーのローンだと利率が高いと思われ、利率が低い会社を探した。ディーラーが「ずいぶん面倒くさいことをしてるねえ」と言っていたが、利率を聞くとやっぱりディーラーのほうが数パーセント高かった。


 4ヶ月は喰えなくても大丈夫なだけ資金を用意し、その軽自動車で埼玉県西部を主に営業してまわった。自転車で行ける距離のスーパーマーケットや市役所にも車を使った。言い訳としては、毎日運転しないと感覚が鈍る、である。

 小回りが効いて可愛い奴だ。「行こう!」と思えば自分が疲れない範囲でどこでも連れて行ってくれる。道幅が狭い一方通行や、山奥の林道、はたまた都会の3車線道路。いろいろな景色を見せてくれた。

 路上駐車はいけないが、駐車をしても嫌味にならない感じであった。「道端にちょこんと…」という表現が相応しいかもしれない。そんな愛車の光景を写真に収めたりした。

 
 特に秩父では大活躍した。埼玉県の西部を占める秩父地方のほとんどに出かけた。出版社より「秩父のデートスポットの本を作ろうよ」と提案があったときも、よく走り回った。ある方からは「秩父の人より道を知っている」とまで言われるようになった。市街地の路地は狭く、一方通行が多くて苦労させられるが、秩父全体となればカーナビに頼らなくても走れるようになった。


 夜中に林道を走れば、タヌキやシカに遭遇した。タヌキは目が光るのですぐ分かる。徐行運転する。シカが車の前をピョンピョンと走り、シカの後をついていくように車を走らせたこともあった。

 秩父の浦山から名栗へ抜ける林道の途中の展望台からは、はるか都会の眩い夜景を堪能できた。三峰神社にも行ったし、雁坂トンネルを抜けて山梨から奥多摩へ出て、名栗と正丸峠を経由して帰ってきたときもあった。普通車ではUターンできないであろう林道の終点も、軽々と引き返すことができた。


 秩父へ来て以来、それこそ手足のように活躍してくれた三菱のミニカ。人生は出会いと別れの繰り返しだと思うが、ついに車からも別れる日がきた。というのも、就職活動が長引いたこともあって、生活資金の底が見え始めたからである。

 査定は5社に見積依頼をして、最高額を提示してくれたところへ売却することにした。売却が決定した後、もうひとまわり秩父を回った。そしてリアガラスに貼った、秩父困民党が蜂起した椋神社の交通安全シールもはがした。

 
 もう思い残すことは何もない。中古車屋の担当者が引き取りにきた。

キーを渡した瞬間、一抹の侘しさを感じた。




続く
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