まつやま書房TOPページ>Web連載TOPページ>東上線 各駅短編集第二十三回 |
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第二十三回(20110.5更新) |
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「もう、この駅で乗っちゃいましょうよ」 中板橋駅まで辿り着いたところで、私は夫に訴えた。まだ春浅い季節だというのに、額がうっすら汗ばんでいる。 「まぁ待て待て。次の駅が近いんだよ。せっかくここまで来たんだからもう一駅だけ歩こう」 夫の言葉はいつも断定的だ。私はちょっとうらめし気に中板橋の改札を見ながら、夫の後に続いていった。 それにしても頑強そうな背中。とてもホワイトカラーには見えない。いやいや、実際丈夫で病気知らずの夫なのだ。だから今日だって歩いていこうなんて突然言い出して……。付き合わされるこっちはたまったものじゃない。 でもほんとに、となりの駅はすぐそこに見えていた。駅と駅がこんなに近いなんてちょっとびっくり。雲一つない気持ちのいい空の下、これならもうちょっと歩いたって悪くはない。 転勤、転勤、また転勤。都市銀行はまったく容赦がない。なにしろマイホームを持った途端に関西転勤だった。それから九州、名古屋と続いている。まるで自宅に寄せ付けないかのような飛ばされ方だ。 家族の団欒もあったもんじゃないと、私は憤慨しきり。でも夫は、 「そんなこと言ってちゃ銀行マンなんて勤まるもんか。どこへだって行ってやるさ」 と、まったく意に介さない。銀行も銀行なら働く夫も夫だ。 最近ようやく、ちょっとは納得できるようになった。実際のところ三人の子供とつつがなく暮らしていけてるんだし、不満ばっかり言ってちゃ申し訳がない。それに転勤当初は夫がいなくて不安だったけど、今や長男が大学生、次男が高校生で、不安を感じることもなくなった。 夫は時おり振り向いて私を見ながらも、歩みの速度を落とそうとはしない。企業戦士なんて、今はそんな言葉は使わないのだろうけど、でもそんな戦士の歩みに付いてかなくてはいけない私はバテバテで、息を切らしながら夫を追う。 名古屋に移ってから、夫は頻繁に帰って来るようになった。九州と違って、週末だけの帰宅もそこそこゆっくりできるし、交通費も各段に安くて済む。 ――まったく、あなたは休みでも、こっちは今日、五時起きだったんだから! 環七通りを越しながら、夫の背中を睨みつける。次男と長女、部活に打ち込むのはいいのだけど、朝レンで出掛けていく前に弁当を作り終えなくちゃいけないのはひと苦労だ。 夫とは池袋で待ち合せて、早めの昼食を楽しんだ。デザートも美味しく食べ終わって、さぁ帰りましょうと駅に向かっていたら、 「どうだろう。天気もいいし、線路伝いに歩いて帰ってみないか」 なんて、夫が言い出した。 「え、家まで何キロあると思ってるのよ?」 「いや、もちろん全部じゃないよ。歩けるところまでって意味さ。都内の駅は近いからさ、疲れたらそこから乗ればいいじゃないか」 と言いながら、夫はもう線路伝いに歩き出していた。一旦言い出したら聞かない夫のこと、そうなったら私も付いていくしかない。 たしかに夫の言うとおり、駅の間は近くて、北池袋、下板橋と、難なく歩いていけた。だけど次の大山までがちょっと距離があって、疲れてしまった。てっきり大山で電車に乗るのかと思っていたら、夫は平然と通り越した。 せっかくの青空でも、なんだか狭苦しい道が続いていて、ただでさえ疲れてる私は気も滅入ってきた。便利は便利なんだろうけど、私はやっぱりある程度広々とした郊外の方がいい。 中板橋で乗らなかったのは、悔しいけど正解だと思った。ときわ台へはすぐに着いた。 「ここ、北口のロータリーがなかなかいいんだよ」 夫は駅の手前の踏切を渡りながら言う。こんなに息を切らしているのにロータリーなんて、と思いながら私は付いてゆく。 「あら!」 「な、けっこういいだろ」 得意気な夫には悔しいけど、今まで通ってきた駅と違って、なんだか開放的でとてもいい。広いロータリーに、中州のように、中央に木が生い茂るスペースがある。 夫がそこに向かい、花壇の縁に腰を落とした。私もとなりに座る。そこから見る駅舎も、洒落ていていい眺めだ。 夫はカバンから缶コーヒーとお茶を取り出す。 「どっちがいい?」 夫はコーヒー好きだ。私は無言でサッと缶コーヒーの方を奪い取ってしまう。意外そうな顔の夫。でも私は、ふたを開けると夫に返した。そしてお茶の方を手に取った。 「あ、ありがと」 夫の消え入りそうな短い一言に満足しながら、私はお茶の開け口をゆっくりひねった。 |
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― 了 ― 次回の更新予定は10月15日(金)です |
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