まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>東上線 各駅短編集第十一回

同タイトルは2012年10月に全駅分を掲載した書籍を刊行しました。
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第十一回(2010.6.5更新)



改札を抜けると、踏切が鳴り出した。

ここはいつもそうなのだ。下板橋の改札は片方だけで、反対側へは改札横の踏切を渡らなくてはいけない。でも池袋から二つ目の駅なので絶えず電車が行き交い、渡ろうとするといつも踏切が鳴り出すのだ。

初子は洋哉の手をしっかりつかんで待つ。踏切が鳴っても閉まりきるまでに間があり、若者たちはさっと渡ってしまう。しかし孫の手を引くおばあちゃんが、そんなことを真似するわけにはいかない。
準急が通り過ぎる。減速はしているものの、駅を通過する電車のスピードは間近で立つ者にとってはかなりのものだ。線路と車輪のこすれる音、それに振動。電車が目の前を通るとき、初子はいつも動悸が激しくなる。

電車が過ぎ去って踏切が開く。ようやく開いたとばかりに駆けて渡ってゆく者、自転車、車。急にせわしなくなった踏切内を、初子たちは場違いな人間のようにちょこちょこ渡ってゆく。
反対側にも改札があるが、それは暗く、人の姿もない。ここは臨時改札で、通勤時間帯以外は閉まっているのだ。初子はここが開いているのを見たことがない。


線路伝いに大山駅の方に向かう。ここには道沿いに遊歩道が付けられていて、孫を連れて歩きやすいのだ。

孫の洋哉に合わせて、初子はゆっくりと歩く。今でこそ孫に合わせて速度を落としているが、洋哉が成長していけば、逆に追いかけなくてはならなくなる。心臓があまりよくない初子にとって、そうなったときのことが今から心配だ。

空全体に薄く雲がかかっている。都会の晴天など、この程度のものだ。都会の空は機嫌のいいときでも、けっして満面の笑みを浮かべてくれない。
そういえば、洋哉の父親も都会の天気みたいだった。いつも気難しそうな顔をしていて、大笑いしたのを見たことがなかった。あんな陰気くさい男でも他に女ができるんだから、世の中はまったく分からないものだ。

遊歩道はレンガ造りの道だ。左右交互にところどころ、花壇があったりトイレがあったり。だから細くくねっている。アップダウンも付けられていて、高くなっているところからは、塀越しに東上線が見える。

途中に置かれている汽車が、洋哉のお気に入りだ。よく公園などで見かける、子供向けの遊具。洋哉はいつもはしゃいで乗り込む。このはしゃぐ顔を見たいから、晴れた日はわざわざ電車に乗って、ここに来るのだ。

正直、激しい運動を控えなくてはいけない身にはけっこうしんどい。住んでいる町にだって公園はあるのだ。だけど電車がなにより好きな孫のためには、自分が頑張らないと、と初子は思う。二つのアルバイトを掛け持つ娘の葉子は、休みの日はぐったりして家から出ようとしない。もし自分が連れ出さなければ、母子で一日、狭いアパートに閉じこもっていることだろう。

笑顔で遊ぶ洋哉に、初子は笑顔を返す。でも内心はとても笑顔なんかじゃない。無邪気に遊ぶ孫が可愛いと思うのは当然だが、同時に不憫とも思う。このまま素直に育っていってほしいと思うが、正直なところ、かなりむずかしいのではないかと思う。同じ境遇だった娘の葉子を見ているから、特に心配になるのだ。
いずれ大きくなれば、この汽車にも飽きるだろう。下板橋のような小さな駅に来ることもなくなるにちがいない。でもそうなるまでは、洋哉にとってここは、夢の遊園地なのだ。



汽車で遊び疲れた洋哉に、買っておいた飲み物を飲ませる。少し休むと元気になって、初子は再び手を引いて歩き出した。

遊歩道がなくなり、その先の十字路を右に曲がる。そして踏切の少し手前で立ち止まる。
そこから東上線の車庫が見える。いくつもの車両が、並んで置かれているのだ。
ここで洋哉は、じっと車両を見つめる。電車の好きな子供にとってはハリウッドの映画以上に楽しませる眺めだ。

隣の北池袋にあるJRの車庫にも連れて行ったのだが、不思議なことにここより喜ばなかった。東上線の方がいいという。JRの車庫の方が近くで電車を見られるというのに……。

ずっと東上線沿いで暮らしている洋哉だから、もしかしたらこんなに小さいのに、愛着というものを感じているのかもしれない。

雲が切れて日差しが強くなった。初子は、じっと動かない洋哉の小さな頭に、自分の帽子をそっとかぶせた。


― 了 ―
次回の更新予定は6月15日(火)です

【駅周辺散策】
■■下板橋■■■

都会の駅は華やかで、田舎の駅は寂れている。
一般的にはそうなのですが、都会にも、寂れている雰囲気を醸し出す駅がたくさんあります。

鉄道の魅力の一つは、ノスタルジーを感じさせてくれるところです。
日本語で言えば、郷愁。郷里を懐かしむことです。
鉄道はずっとそこにあって、時が経っても変わりません。しかし鉄道をめぐる周囲の諸々は変わっていきます。
駅前、電車、沿線風景……。それらが栄えたり寂れたりして時のうつろいを感じさせ、鉄道のみが時代から取り残されたように映るのです。


下板橋は各駅停車しか停まらない小駅ですが、池袋から近くて便利なので、時が経つごとに、それなりに発展していっています。周辺にはコンビニなどの店ができ、ロータリーは整備され、マンションは建ちならび……。
新しくなるにつれて昔ながらの風景が失われていくのですが、しかし駅の周囲を全て今風に作り変えられるものではなく、ところどころ、古びた雰囲気が点在してしまうことになります。それらの小さな部分が、よりノスタルジーを醸し出すのです。
たとえば下板橋だと、板橋駅側は道より駅が少し高くなっていて、年季を感じさせるコンクリートの壁があり、そこに蔦が這っています。反対の寂れている側は、古い公共の建物を原っぱが取り囲んでいます。駅舎も古く、周囲にあるマンションやコンビニなどの新しいものが、逆に古いものを目立たせることになってしまうのです。
つまりは、ローカル線の無人駅がストレートに古さを見せるのに対し、都会の駅は、ほんの少しだけ垣間見せるのです。その奥ゆかしさが、ローカル駅とはひと味違うノスタルジーを抱かせてくれるのです。
下板橋駅周辺は、そんな小さな小さな古さが、そこかしこにあります。




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