まつやま書房TOPページ>Web連載TOPページ>東上線 各駅短編集第一回 |
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同タイトルは2012年10月に全駅分を掲載した書籍を刊行しました。 詳細はこちらをご覧下さい。 |
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第一回(2010.02.28更新) |
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朝霞台の改札で、彼は数日前に観たニュース番組を思い出した。番組のミニコーナーで紹介されていた新ビジネスが、頭の中にふっとわき上がったのだ。 それは、匂いや香りを売る会社だった。消臭の商品ではない。匂いそのものを売るのだ。時流を逆手に取ったユニークなビジネスで、彼はテレビを観ていてなるほどと唸った。 例えばスーパーのカレーコーナーでカレーの匂いを漂わせる。そうすると匂いに誘われ、売り上げが何割か上がるのだそうだ。匂いを発する商品は缶詰のようなもので、これを店舗や陳列棚にいくつか設置するだけという簡単な仕掛けだった。 それを思い出したのは、朝霞台の改札が甘い香りに包まれているからだ。改札を出たところにあるシュークリーム屋が、いつもいい香りを漂わせているのだ。 数年前までは、よく買って帰ったものだった。彼自身が甘党だったので、香りに誘われてふらふらと寄ってしまった。 しかし今では滅多に寄ることがない。妻が落ちない体重を気にしているし、彼自身、健康診断で血糖値と中性脂肪が基準値を超えている。子供も大きくなり、菓子一つ持って帰ってもはしゃいでくれなくなった。 だからぐっと我慢して、通り過ぎるようになった。 武蔵野線との乗換えがある朝霞台は、たくさんの人が降りる。起点の池袋を除けば沿線中一、二を争う乗降数なのだ。 人の波に乗って、彼も進む。北口ロータリーには武蔵野線の北朝霞駅の改札もあり、乗り換える人の波ができているのだ。 この街にマイホームを持つ彼は、その波からはずれて高架の武蔵野線をくぐる。 以前はなにもなかった反対側のロータリーも、最近はビルができて店も多い。そこを通って、彼は東上線沿いの道を進む。 暗闇の中、ゆっくりと歩いてゆく。 朝霞台駅は切りとおしで地上より一段低い。改札や店舗が入っている構内が上をふさぎ、少し離れて見る駅はトンネルに入っているかのようだ。 駅から離れるにつれ、複々線の線路が道と同じ高さに上がってくる。 金網の途切れたところまで歩き、ポケットに手を入れる。ここでタバコに火をつけるのが習慣になっていた。この先にあるマンションが彼の家だが、家族、とりわけ妻から禁煙を強いられているので、のんびり電車を見ながら一服するのを常としていた。 線路が風の通り道になっているからか、冷たい風が吹く。なにも肩をこわばらせてまで一服することはないと思いながらも、タバコを燻らす。 いちばん向こうの線路に急行が走る。下りの急行はこの時間、たくさんの客を押し込めている。 タバコだって血糖値によくないのは重々承知だ。しかしシュークリームはやめられても、こっちはどうもやめられない。いや、シュークリームだって家族の反応がよければ買い続けたことだろう。 以前は白いイメージがあった東上線。最近は地下鉄の乗り入れが多く、色やラインがさまざまだ。中央線や山手線のようにトレードマークの色がない。 しかし彼には、いろいろと混ざって特色のない方が見ていて心が安らぐ。なんとなく、中年サラリーマンの姿を、そこに重ねてしまうのだ。会社や、家族や、友人、趣味、その他。年月を追うごとに周りの諸々を取り入れていき、自分のカラーなど消されてゆく。 ―明確なカラーを持ち続けるなんてできるもんか。時代が流れて状況が変わっていけば、それに合わせて色なんて混じり合っちゃうってもんだろう……。 くすんだ赤のラインが入った電車を見ながら、彼はぼんやりと思う。 内側二つの線路で、白い各駅停車がすれ違う。駅から発車したばかりの電車と、駅に入ってゆく電車。一方は速度が上がり、もう一方は減速してゆく。そのすれ違いを見つめながらふぅと大きく煙を吐き、彼はゆっくり、家へと向かって行った。 |
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― 了 ― 次回の更新予定は3月5日(金)です |
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