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3.4.
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本の判型 |
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本の大きさ、つまり判型は以下の通りです。
紙面の面積や文字の大きさによって、1ページに組み込める文字量は大分違ってきます。またレイアウトにも関係してきます。
主な用途と書いてありますが、あくまで参考程度として捉えてください。 |
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判型 |
寸法(mm) |
主な用途 |
A6判 |
148×105mm |
文庫、豆本 |
新書判 |
148×105mm |
新書 |
B6判 |
182×128mm |
一般書籍(自分史、小説、エッセイ集、句集、歌集)、文芸書 |
四六判 |
188×128mm |
一般書籍(自分史、小説、エッセイ集、句集、歌集)、文芸書 |
A5判 |
210×148mm |
ビジネス書、専門書、文芸雑誌、写真集、学術書 |
B5判 |
257×182mm |
社史、写真集、辞典、地図、マニュアル集、週刊誌
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A4判
新書判 |
210×297mm
148×105mm |
画集、絵本、記念誌、総合雑誌、電話帳、新書、報告書
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日本の判の歴史 |
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江戸時代当時、将軍家と徳川御三家では美濃で作られた紙、美濃判(縦九寸、横一尺三寸)を権力の象徴として使用していました。大名はそれよりも一回り小さいサイズの紙を使い、一般の者たちはそれよりもさらに小さいサイズを使っていたようです。
時代も明治に移り、士農工商という身分制度が廃止されると、多くの人たちが競ってこの大きなサイズの紙、美濃判を使うようになり、美濃判が和紙の標準サイズとして定着していきました。
またそのころ、イギリスから輸入されたクラウン判(787×1092mm)の変形が美濃判の八倍のサイズ(788×1091mm)であったことから、大八つ判という紙として販売されました。この大八つ判を三十二面に裁断すると四寸×六寸の大きさになるため、大八つ判という呼ばれ方よりも四六判という呼ばれかたが定着していきました。
●菊判
明治の半ば、日本橋の川上商店という会社がアメリカの標準判を一回り(1インチ)大きくした判(636×939mm)をアメリカの貿易会社から取り寄せました。この紙の名前が「ダリア」、日本語訳が夏菊であることから菊判として呼ばれたそうです。また「ダリア」はサイズを半分にして新聞用紙として使用していたため、新聞の「聞」を「きく」とも読むことから、「キク」の菊判と呼ばれるようになったという説もあります。
●A判・B判
1929年にドイツの工業規格をそのまま日本工業規格(JIS)に採用したものがA判です。
全紙(A0判)の面積を一平方メートルとして、用紙を横半分に順次裁断しても、縦横の比が一定を保てるという合理的なサイズから、この規格が成り立ちました。
A1判がA0判(841×1189mm)を横半分に一回裁断したもの(A1判=594×841mm)となり、よく見かけるA4判は横半分に順次4回裁断したもの(A4判=210×297mm)、A5判は横半分に順次5回裁断したもの(A5判=148×210mm)ということになります。
A判は先に書いたとおり、非常に合理的なサイズで、利用する人々も多いことから国際規格(ISO規格)にも採用されています。
A判と同様にJISに採用されているB判は、A判の丁度1.5倍になるようにルート短形で定められています。
もともとの由来は、美濃判から作られた四六判の判型を今後も使っていきたい、という要望が多く、定形化が求められました。そこで、A判を1.5倍にしていくと、四六判に近い寸法(128×182mm=B6判)になるということで、これをB判と定めました。
ですから現在使われているB判は日本独自のものが使われていてISO規格化されたB判とは少し違っているようです。
※日本の公式な用紙は、江戸、明治から重宝された美濃判の正式後継者、B判(B4、B5)が使われてきました。しかし国際標準として定められたA判(A4、A5)が90年以降から公式文書などで使用されることになったようです。
A判、B判の他にも、C判というものがあって、これは封筒用サイズとして人々に使われています。
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▼▼A判による寸法例▼▼ |
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