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高崎競馬場(4) 2011.4.5


(3)


 寒いことは寒いものの、すさんだ気持ちにならないのは財布に余裕があるからか。今までに過ごした三十数回の大晦日の中で、最多所持金なのだ。

 実際、車を駐車したスーパーでセーターと登山用靴下を買い込む余裕。出先で衝動的に衣類の買い物なんて、今までの自分には到底考えられなかったことだ。

 たった一週間前は、こんなに羽振りがよくなかった。全ては五日前の、有馬記念のお陰だった。

 出走すれば必ず買うタップダンスシチーから五点。そのうち一番厚目のゼンノロブロイとの馬連一―九が見事的中。天皇賞(秋)、ジャパンカップとGI二連勝のゼンノが圧倒的一番人気で、休み明けとはいえGI馬でファンの多いタップが三番人気だったので配当は安かったが、三万弱にはなった。一緒に行った奴も儲かり、じゃあ久し振りにちょっと高級なもんでも喰いに行くかとなったのだが、帰りの電車の中でそいつが、気持ち悪いなどとぬかしやがった。

 おいおい電車で乗り物酔いなんて子供かよ、と呆れたものの、そんなこと口に出して言うわけにもいかず、大丈夫か、なんてしらじらしく言いながらよろめくそいつを抱えるように新小岩駅で降りた。そいつが便所に行ってる間、おれは薄暗い構内のコーヒーショップで文庫本を読んでいた。

 十分後に戻って来たそいつはさっきとは見違える程血色がよかった。

「上からも下からも出たぜ」と、ホームに上がってからそいつが報告した。コーヒーショップで今のセリフを吐かなかったことは、偉いと認めざるを得ない。

「風邪かなァ。今きっと八度くらいあるぜ」

 血色のよさは熱っぽさからきているのだ。俺はなるべくそいつの息のかからない場所にポジションを取りながら、再び裏寂れた暮れの総武線、各駅停車の空いた車内に乗り込んだ。

 地元に帰り着くまでにそいつはもう一度電車を降りてトイレに駆け込んだ。

 長くなるからどこかでお茶でも飲んでてくれと俺は言われ、もう完全になにか喰いに行く目はないなと思った俺は立ち食いそば屋に入って行った。

 あいつが今頃個室で修羅場を迎えているのに、こっちは呑気にそばなんかすすってていいのかね、なんて思いが一瞬頭の中をかすめたが、思いの他かき揚げとツユの濃さが絶品で、俺はすぐにそんな思いを忘れてしまった。

 すっかり平らげた俺は外に出て自販機でホットココアを買い、フタを開けたところで友人がトイレから無事生還してきた。

「今日はせっかくメシ喰って飲んで来ていいって家からお許しが出てたのに、ホント残念だ」

 そいつの奥方はなかなかだんな様を一日解放してくれないのだ。それでも結婚当初は抵抗していたのだが、子供が生まれてからは奥方の言い分が通ってしまうことが多くなった。しかし今日は久々にお許しが出ていたらしい。時折俺は、自分の馬券は外れてもいいから、神様、願わくば彼の馬券だけは的中させてください、と真剣に思うのだ。

 俺は具合と気分の両方から肩を極端に落としている友人を励ましながら、その日はおとなしく家へと帰って行った。

 こう言っては悪いが、その友人の具合の悪さが、俺のさらなる飛躍にプラスの働きをしてくれたようだ。

 何故なら、有馬記念のあと散財しなくて済んだからだ。

 それから四日後の三十日、俺は競輪好きの友人から、グランプリに行こうと誘われた。これは毎年恒例で、今年で五年目になる。そして、今年程資金豊富に乗り込んだことはない。

 競馬が主流の俺だが、他の公営ギャンブルも誘われた時だけ行く。エキスパートとつるむのは実に刺激的だからだ。友人は競輪歴十年のつわもので、ついでに付け足すと独身で未だ親元にいるから給料を丸々使えてしまう。年六回ある競輪のGⅠレースは有給休暇をとって日本全国津々浦々、必ず観に行っている。世の中には不公平が満ち溢れているもんだ。

 トップ中のトップ、グランプリ出場者の中には五年前に俺が初めてグランプリを観に来たとき出ていた選手も何人かいる。

 友人は競馬もやるが、競輪の方を主流としている理由をこう語る。

「競馬だとやっぱり馬が主役だから、好きな馬ができるだろ。でも応援する間もなく、すぐ引退しちゃうんだよ。例えば去年のダービー馬のキングカメハメハなんかNHKマイルの強烈な末脚でファンになったんだけど、その後ダービーと神戸新聞杯走って引退だろ。応援期間が四ヶ月だぜ。まあそれは極端にしても、だいたい一流馬は三、四年で引退じゃないか。スパンが短すぎるんだよ。そこいくと競輪は短くても七、八年は好きな選手追いかけられるし、一流馬が年に七回程度しか走らないのに比べて、一流選手でも十回以上走るからな。だから例えばあの馬とあの馬はどっちが強いか見てみたい、なんてのはファンの夢だけど、競走生涯のうち一度あたるかあたらないかなんだよな。ところが競輪選手は夢の対決が年に二、三回は観られる。今、競馬の売り上げが落ちてるけど、もちろん不景気の影響もあるだろうけどさ、でもそれだけじゃないと思うんだ。大ブームになったのが平成の初めくらいだろ。で、そこから今まで何世代くらい変わってるんだ、馬が。三回転くらいで飽きちゃった奴も多いんじゃないのかな。ほとんど無敗だったシンボリルドルフ観てない奴だってタイキシャトル観た訳だし」 

 なるほどなァ、と俺が相槌を打つと、友人はさらに続けた。

「やっぱり、一回ファンになったらその勇姿を長く観たいってのが人情じゃないか。俺は山田裕二のファンで、初めてグランプリを取った時からだから、彼のレースは数え切れないくらい生で観てるんだ。山田と神山の対決も目の前で何度も観たしな。これからもあと数年は観られるぜ。でももっと上手がいてよ、俺の知り合いに将棋好きの奴がいるんだけど、あれなんか頭脳勝負で体の衰えもそれほど関係ないから、一度ファンになると一生応援できるんだぜ」

 それを聞いて俺はちょっとだけ将棋ファンが羨ましくなった。

 俺はしかし、グランプリ当日、五年間観慣れた選手を無視して、九番車の小野から総流しにした。

 一人だけ単騎の九州勢で、グランプリのような一発勝負のレースには逆に動きやすいなど玄人風の理由もあったが、真の理由は「去年やられている」というものだった。

 小野は去年のグランプリ、かなり人気を集めていたのだが見せ場もなく消え去った。俺は小野から総流しだったから全く面白くないレースだった。数日前に有馬で儲けさせて貰ったタップダンスシチーは、去年の有馬をジャパンカップ九馬身差勝ちという勲章を引っさげて出てきて、かなりの人気になった。俺はタップの単勝、複勝、馬連総流しと、財布の中身が五百円玉二枚だけという状態になるまで賭けまくった。だけど結果は惨敗で、逃げ馬なのにすでに最後の直線に入る前に馬群に沈んでいるという有様だった。

 有馬でタップに去年の借りを返してもらったので、グランプリも小野に、と思ったのだ。で、結果は小野が見事優勝。厚目に買ってた東北勢の岡部が二着に入ったので財布に俺の給料分の金が飛び込んでくることになった。資金が潤沢だったからこその大勝だった。ギャンブルというものはカネがカネを呼ぶ。的中が的中を呼ぶのだ。

 グランプリは大きく賭けるレースじゃない、と信念を持つ友人は内林から少し流して失敗。今日は俺が奢るからと胸をたたいて立川競輪をあとにした。

 いやァ、今年の暮れってどうなっちゃってんだい、と思いながら中央線に乗り込んだ。有馬のときと同じ勝ちパターンだな、と、ふと思い、友人に、気持ちが悪いなんてことないかと尋ねたら、怪訝な顔で、

「別に、電車に酔うなんてバカどこにいるんだよ」

 と、返答してきた。その日は友人も元気で、しっかりと散財することができた。

 その、競馬と競輪のグランプリ二つの連続的中で、この大晦日の心の余裕なのだった。帰りにどうしても困れば、車のチェーンだって買える経済力だ。

 俺はできるだけ高崎競馬最後の日の売り上げに貢献しようと、おでん、やきとり、フランクフルトなど、さまざまなものを買った。ここに金を落とそうと、朝メシ抜きで来たのだ。

 それにしても、ぼたん雪が激しい。せっかく九、十、十一レースと特別レースなのに、これでは最後までもたないだろう。俺は第八レースのパドックへと向かって行った。




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※『北関東から競馬がなくなる日』は曠野すぐり氏が新風舎にて刊行した
同書名著作物を改訂したものです。