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二.最初の妻ルイーズ・クロンウェル・ブルックス
(Louise・Cromwell・Brooks)



 マッカーサーの最初の妻ルイーズ・クロンウエル・ブルックスとは彼が四十二歳、一九二三年に結婚しました。このとき彼は母校ウェストポイントの校長職についていました。彼女の継父はフィラデルフィアの百万長者という裕福な家系で、彼女はワシントン社交界の花形になっていました。マッカーサーの家庭も裕福で安定していましたが、所詮軍人の家庭なので金持ちではありませんでした。しかし、この結婚により彼は千万長者の社会に投げ込まれる形になってしまいました。

 軍人の家計なので当然のことですが、彼は金持ちの社会をあまり好きにはれませんでした。彼は生まれつき社交家ではないし、むしろ簡素な生活を好み、上流社会の贅沢やつまらない社交などする気は毛頭ありませんでした。

 一方、離婚歴があり、派手好みの女性ルイーズとの結びつきは両者にとって不幸な結婚を暗示するものでしたが栄光の頂点にあるマッカーサーと華麗なオーラに包まれていたルイーズの両人には、あまり先のことは見えなかったのかもしれません。

 母、メリーはこの結婚には絶対反対でした。母親が出席しない結婚式、これは二人にとって最初から祝福されない結婚となりました。

 校長職任期四年のうち一年を残した一九二二年六月、二度目のフィリピン勤務を命ぜられたマッカーサーは、ルイーズを伴い一八年ぶりにマニラに向け出発しました。

 マニラに到着早々マニラ軍管区司令官、ついでマッキンレイ司令官に任命されたマッカーサーは、バターン半島の防衛をさらに固める準備に情熱を傾け、多くの時間を費やしていました。

 この時点で、太平洋の軍事情勢は大きく変ってきていました。第一次世界大戦でマッカサーがドイツと戦っている間に、日本は南洋群島からドイツ軍を追い出し、ドイツに代わってその支配権を手に入れていました。その結果、フィリピンに拠点を置くアメリカとの対立の様相はますます高まる方向に向かっていました。

 一方ルイーズにとってフィリピンの生活はありがたいものではなく、彼女にとってかの地は結局アルプスのかなたの野蛮国のように思いたのでしょう。二人は一九二九年に離婚し、ルイーズはマッカーサーのもとを去っていきました。

 マッカーサーの自伝の中ではルイーズのことには一切触れていません。ルイーズとの結婚についてマッカーサーは、「あまりにもマザコンの自分に嫌気がさし、母への反逆から独断専行でルイーズを選んだ」との説もあります。いずれにしてもマッカーサーにとってこの選択はかなりつらい経験になったようです。ルイーズはマッカーサーと別れてから二度結婚しています。そのうちの一人は有名な俳優、ライオネル・アトウィルです。彼女は実に奔放で夢多き女性だったんですね。


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