まつやま書房TOPページ>Web連載TOPページ>北関東から競馬がなくなる日2(曠野すぐり)・ | |||||||
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高崎競馬場(6) 2011.4.25 |
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(5) 駅に着いて雪をはたき落としながら、さてと考え込んだ。 このまま群馬藤岡に戻って車に乗り込んでも、駐車場から出した途端に立ち往生するのは充分に予測できる。それならいっそのことレンタカー屋に電話をして延長を申し出、車を駐車場に入れっぱなしにしておいて明日取りに来るという策もある。正月をそんなことに使うのは勿体ない気もするが、まあ仕方ない。それが安全だろう。勝ってるときは危険を冒さない方がいい。年末のギャンブルでそこそこ儲けたことを「勝っている」と言ってしまうことに若干の抵抗はあるが……。 しかしここでも残念なのは、競馬場の廃止だ。高崎競馬場は毎年、正月三ヶ日も開催していたので、廃止になっていなかったら明日も楽しめたのだ。 ともかく俺は英断し、レンタカー屋に電話を掛けた。そして高崎線のホームに向かうと、上野行きに乗り込んだ。動き回った虚脱感からか、急に物悲しい気分に陥った。俺はぼんやりと真っ白い車窓を見ていた。 物悲しさが伝わってしまったのか、電車は数駅過ぎた所で止まってしまった。どうやらこの悪天候からくる故障のようだ。 周りの乗客は不満顔だったが、俺は別に急ぐ用もないので、全く気にならなかった。なんなら一日中止まって、車中で年を越すのもシャレてるな、などと考えているくらいだった。 三年前の暮れも、この高崎線は故障で止まってしまった。その時は行きだったうえ、高崎駅で待ち合わせをしていたので、ものすごくあせり、いらついた。まだ携帯電話を持ってなかったので連絡の取りようもなく、止まったままの車内でひたすら電車の動くのをじりじりと待っていたのだ。 あの三年前がなんだか妙に懐かしい。高崎駅に着いたと同時に駆け足で上信電鉄のホームに向かった。待ち合わせてた友人は競馬ファンであると同時に鉄道マニアでもあり、競馬の前に上信電鉄に乗ることになっていたのだ。 JRのホームの端っこにちょこんと間借りする上信電鉄の横で、友人はにこやかな表情で立っていた。遅れたことを詫びると、電車の故障なんだから気にしないでとそいつは言い、笑みをそのままに、上信電鉄のおもちゃのような電車に乗り込んでいった。ホッとしながら俺も続いた。 出発した上信電鉄の車内はどういうわけか異常に暑く、ダッシュで階段を駆け上って来た俺は、汗がポタポタと垂れて止まらなかった。しかも友人は高崎名物だるま弁当をご丁寧にも俺の分まで買っていて、座席のほとんど埋まった、それもロングシートの車内で何の躊躇もなく開き、食べ始めたのだ。遅れて負い目のあった俺も仕方なく付き合ったが、恥ずかしさで味が全く分からなかった。日常の中で脱日常を味わう、この気まずさ。大晦日で学生たちがいないことが救いだった。 終点の下仁田で折り返して高崎競馬に向かったのだが、最終レースの高崎大賞典にぎりぎり間に合うかどうかという時間で、俺は上信電鉄の中でもじりじりさせられた。高崎駅から走って向かってなんとか間に合ったが、その年相互発売していた宇都宮競馬場のとちぎ大賞典には間に合わなかった。俺はその日二回目の汗だくになった。 その年の高崎大賞典はさらっと一番人気の組み合わせで決まり、所持金の少ない俺は本命馬券など買える筈もなく、くすんだジャンパー連中といっしょくたになって、掃き出されるように競馬場をあとにした。貧乏人が小旅行気分で来てるってのに、年末の最終レースで一番人気などやめてほしいものだ。俺は自慢じゃないが一番人気など買ったためしがない。 くやしいことに、間に合わなかったとちぎ大賞典の方は万馬券だった。駅へと戻る道すがら、俺は友人にぶつぶつ言い、友人はいつもの笑顔でそれを受け流し、負けた割にはけっこう楽しく帰っていったのだった。 そんな、今となってはいい思い出があの場所にはいくつもあった。俺はカバンの中に入っている文庫本はあえて出さず、高崎競馬に行ったこれまでの思い出をひとつひとつ思い出しながら、動かない車窓を、ひたすら眺め続けていた。 |
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― 了 ― | |||||||
「北関東から競馬がなくなる日 高崎競馬場」は今回で終了となりますが、 「北関東から競馬がなくなる日」シリーズは続いていきます。 近々掲載予定ですので、引き続き同シリーズの応援よろしくお願い申し上げます。 |
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※『北関東から競馬がなくなる日』は曠野すぐり氏が新風舎にて刊行した 同書名著作物を改訂したものです。 |
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