秩父鉄道新風土記
大穂耕一郎 著
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このページはまつやま書房刊行の「秩父鉄道新風土記」の試読用のページとなっています。
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※本書では縦書きとなっています。
 また文章は発刊当時の文章を掲載しています。よって現在と多少異なる箇所がありますので、ご了承下さい。

本書の目次*青文字の表題を“ちょっと見!”できます。 
もくじ

ぼくと秩父鉄道(まえがき)
電車は西へ
 正しい夜の電車風景
 春の花に寄せて
 白鳥、そしてカモたちへ
 セメント貨車の長い旅
畑の中を
 忍川にフナと遊ぶ
 「女子高生」の冷たい視線
 ヘチマの実る風景
 主人公は関東平野、そして利根川
荒川を渡る風
 展望台がほしい!
 昔のミカンに会いました
 河原の風景、駅前風景
 不思議な駅
 秩父鉄道は「塩マス文化圏」を走る
里の風景
 現代秩父 炭焼き事情
 落ち柿、干し柿、吊し柿
 札所巡り考
 クリとクマの話
 車両たちの、第二の「人生」




人々の暮らしを乗せて
 元気な電車たち
 SL列車に乗った
 石灰石列車、一、〇〇〇トンを背に
 過密ダイヤルを支えるシステム
 歴史を秘めた旅館三題
 「田舎のバス」がんばる
 秩父夜祭ウォッチング
 祭りを支えるたくさんの人々がいた
酔いどれ三人組の「秩父事件」
 寄居 上総屋 一次会
 秩父の店にあいさつを
 四次会 IN 音楽寺
 秩父の長い夜の始まり
 サイフの危機一髪
 皆野・魚万食堂でカツ丼を食す
 椋神社・雑木林の彷徨
 吉田の静けさ小鹿野の長さ
 正丸峠は越えたけれど
 「秩父事件」その後
山と川、そして峠
 姿変われど、秩父のシンボル
 荒川の流れに沿って
 国境の峠を越えて
鉄道が、鉄道として生きている(あとがき)
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ぼくと秩父鉄道(まえがき)


 ぼくが初めて秩父鉄道に乗ったのは、たしか小学校三年生のときだ。東武東上線で寄居まで行き、秩父鉄道に乗り換えて上長瀞で下車、河原で遊んだあと、岩畳の上で弁当を食べ、長瀞駅から帰りの電車に乗った。しかし、河原と岩畳の風景、そして東上線のことは記憶にあるのだが、秩父鉄道の電車は残念ながら思い出せない。
 その次に秩父鉄道に乗ったのは、高校二年生のとき。ワンダーフォーゲル部の仲間と三峰から雲取山に向かったときだ。淡い小豆色の古い電車だったことを覚えている。しかし、開通間もない西武鉄道秩父線の印象の方が強かった。
 八王子で暮らすようになってからも、ぼくの鉄道写真の対象はもっぱら中央本線や八高線を初めとする国鉄で、秩父鉄道にSL列車(パレオ・エキスプレス)が走り始めてからも、イベント列車が好きではないぼくは、「客寄せの蒸気機関車なんて……」と、冷たく意地を張っていた。
 四年前に、まつやま書房の山本正史さんから「八高線の本を書いてもらえませんか?」と声をかけられ、「八高線のことを書けるのはぼくしかいない」と意気込んで通っていたときも、寄居の駅で秩父鉄道の電車をチラリと見ていただけだった。
 「八高線は北風に負ケズ」ができあがったとき、山本さんに、「今度は秩父鉄道を書いてくださいよ」と言われたのだが、「でも秩父って、あまり行ったこともないし、イメージが沸かないんですよね」と二の足を踏んだまま時を過ごしてしまった。
 その後、秩父の鉱泉宿に出かけたり、風布のミカン山で遊んだりしているうちに、少しずつ秩父が身近なところに思えてきた。そして一九九四年の暮れに久し振りに山本さんに会ったとき、再度「秩父鉄道を……」と切り出され、「ハイ」と返事をしてしまったのである。
 ぼくの秩父鉄道通いは、だから一九九五年の一年間。だが、行けば行くほど秩父鉄道とその沿線の魅力にとりつかれてしまった。
 秩父、そして埼玉県にはたくさんの郷土史家、研究者の方々がいて、多くの本が出版されている。その中にあって、門外漢であるぼくが秩父鉄道を本にまとめるのは気が引ける。知らないこと、書かなかったことは、もちろんたくさんあるはずだ。けれども、一人の、鉄道が好き、旅が好きな外野の人間が見た埼玉の、秩父の、そして鉄道の今の風景だと思って我慢して読んでいただければ幸いである。





 正しい夜の電車風景  −−熊谷−−


 上野から高崎線の普通電車のシートで、ぼくは図書館から借りている「たこやき」という本(熊谷真菜・リブロポート・一九九三)を読み続けていた。あと五〇ページぐらいで読み終わろうとするとき、電車は熊谷の駅に着いた。
 初冬の土曜日の夜の帳が下りようとしている熊谷駅のホームの照明は、おやっと思うくらい薄暗かった。頭上を新幹線に覆われているとは言え、青白い蛍光灯の明りは、これが新幹線の停車駅かとぼくをがっかりさせた。その薄暗いホームに「ミルクスタンド大沢」と大書きされた小さな箱形の売店があり、お婆さんが店番している。まるで場末の小駅の雰囲気である。その場末の小駅のホームから、電車を降りた人々がエスカレーターに列をなして上って行く。このエスカレーターは、階段のとなりにあるのではなくて、一基のエスカレーターだけが暗い宙に浮いたようにホームとその上の明るい世界とを結んでいる。人々の後ろからそれを見上げていたぼくは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い浮かべてしまった。
 改札口とコンコースはちょうど線路の真上にあり、「アズ」という名前の駅ビルに組み込まれている。ここは明るい現代の都市の駅である。改札を出て左に少し歩くと秩父鉄道の切符売り場と改札口があった。今日の宿のある皆野までの六六〇円の切符を券売機で買い、若い駅員の立つ改札口を通って階段を下りると、高崎線のホームよりもさらに薄暗いホームで、黄色い車体に茶色のラインが入った一七時一一分発の影森行が待っていた。車体にはデハ一一〇三と書かれている。国鉄の一〇一系を秩父鉄道が中古で買った車両である。
 発車までまだ一〇分以上あったので、ホームの自動販売機で紙コップ入りのコーヒーを買い、シートにザックを下ろして足を組んで、ゆっくりとあたたかさを味わう。ドアを挟んだはす向かいの席では大きなショルダーバッグと日本通運の大きな袋を置いたおじいさんが悠然と缶ビールを飲んでいる。部活の帰りらしい高校生たちがそれぞれ飲み物を買って車内に入ってくる。発車時刻が近づいても、座席はまだ少し空いている。
 この電車は、まったく昔の国電そのままだ。紺色のシート、薄いグリーンの壁板、そしてステンレスのドア。もし天井の扇風機に「JNR」のカバーでもついていれば、もう国電一〇一系そのままである。そう言えば、かつての国電の郊外駅のホームは、どこもこの秩父鉄道熊谷駅のように薄暗かったような気がする。夜は暗いものだという感覚を、今のコンビニエンス・ストアや都市の駅の明るさに慣れているぼくたちは忘れていたのではないのか。そう考えてホームや車内を見回してみると、不思議な安堵感を覚えた。うん、これが正しい夜の駅の、正しい夜の電車なのだ……。
 羽生からの熊谷止まりの電車が到着した。少しの乗換え客を増やした秩父鉄道影森行の電車は、車掌の笛と、ややうるさめのドアの音を立てて、熊谷の駅を後にした。ぼくの乗っている三両編成の真ん中の車両の乗客は四〇人ほど。その半分が高校生だ。ひたすら睡眠不足を解消している男の子、楽しそうにおしゃべりを続けている女の子、ヘッドホンで音楽を聞いている子もいる。
 この電車、デハ一一〇三は、心持ち車体をバウンドさせながら夜の関東平野を西へと走る。おしゃべりしていた女の子たちもいつの間にか眠ってしまった。土曜日の客のそれぞれの安堵感をここかしこに乗せて、秩父鉄道影森行はひたすら西へ向かって走り続けていた。
(ミルクスタンド大沢は、今はJR改札口の横にある)



 



 札所巡り考

 秩父には、名前ではなく番号で呼ばれている寺がある。「一番」から「三十四番」までの、秩父札所巡りの寺だ。
 友人たちとタクシーに乗って「音楽寺まで」と頼んだら、運転手氏は無線で会社に「二十三番」と連絡していたし、車で走っていると、「四番」などと書かれた案内板があるし、秩父鉄道「ふるさと歩道ハイキング」での係員の説明も、寺を番号で言っていた。初めは奇異に感じたけれど、秩父へ通っているうちに慣れてしまった。
 「札所巡り」と言えば、全国的に知られているのが「四国八十八ヵ所」である。弘法大師の足跡をたどるという霊場巡りは、「お遍路さん」の名とともにあまりに有名だ。「秩父三十四ヵ所」は、「西国三十三ヵ所」、「坂東三十三ヵ所」と同じく観音霊場巡りで、秩父、西国、坂東を合わせて「日本百番観音」と言われているそうだ。秩父の札所巡りは室町時代ころに始まったと推定され、昔は西国、坂東と合わせて百ヵ所を巡ることになっていたらしい。昔の巡礼は一ヵ所ごとに写経を納めて、納経帳に朱印を押してもらったそうだが、今は参拝したときに二〇〇円を払って朱印を押してもらうとのこと。
 寺を巡洋するのだから、「札所巡り」は宗教的行動、と言うか、修業の一つと言えるのだろうが、昔から多くの人たちが訪れ、今もそれが続いていることからすると、単に「仏にすがる」ということではないような気がする。最近、NHKテレビで、徒歩で四国八十八ヵ所巡りをする中高年男性が目立っているという特集番組があったが、そこでは、それまで仕事一筋に生きていた自分を見つめ直そうとする人たちの姿が映し出されていた。生き方を考えるためのきっかけとして札所巡りの旅を選んだということなのだろう。そういう意味で考えれば、「東海道を歩き通す」とか、「日本一周サイクリング」などと共通点がありそうだ。
 札所巡りは、旅をする自由が制約されていた昔の人々にとって、恰好の理由づけであったようにも思える。「お伊勢参り」や「大山詣で」も、神社にお参りした後は大いに羽目を外していたらしいし、秩父の三峰講も、帰りに大宮(秩父市内)の花街に繰り出すことがあったと聞く。旅は人々の息抜きであり、楽しみであり、神社仏閣も、信心深い人たちの祈りの対象としてだけではなく、旅を楽しみたいたくさんの人々によっても支えられてきたと言えるだろう。
 札所巡りは、その土地の風景や人々とふれ合う旅だ。秩父の場合、札所の所在地が秩父市とその周りの町村という限定された地域にあるので、遠方から電車に乗ってくれば、一番から三十四番まで約九〇キロメートル、徒歩だけでも一週間あればゆっくり巡ることができる。東京からだと、休日を利用して日帰りをくり返すこともできるし、土曜日に出かけて一泊二日を数回重ねれば満願成就だ。そして秩父のおだやかな山里の風景にひたることができるので、今も秩父は札所巡りの人たちで賑わっている。
 ぼくは信心深くないし、ぼくの家は浄土真宗大谷派だから、曹洞宗と臨済宗がほとんどの札所にことさら思い入れはないのだが、山奥に抱かれた古寺の、木彫りの施された山門や観音堂を見ていると、ふっと気持ちが安らいでしまうのである。(以下略)


(続きは書籍で)

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