八高線は北風に負ケズ
大穂耕一郎 著
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※本書では縦書きとなっています。
 また文章は発刊当時の文章を掲載しています。よって現在と多少異なる箇所がありますので、ご了承下さい。

本書の目次*青文字の表題を“ちょっと見!”できます。 
駅と話(目次)

 D51の響き(まえがき)
1.八 王 子…タイムスリップ1番線
2.山と平野の間を走る
3.北八王子…酒まんじゅうと「金太郎」
4.小  宮…単線の宿命
5.拝  島…オクトパス・ジャンクション
6.「ルポ」の窓から
7.東 福 生…横田基地を横に見て
8.箱根ヶ崎…茶畑ストレート・ライン
9.金  子…坂を上ればネコの駅
10.東 飯 能…飯能より東飯能が好き
11.高 麗 川…「高麗郷」は「日高市」を超える
12.毛  呂…「新しき村」と新しい町にはさまれて
13.越  生…梅とうどんと高校生
14.明  覚…流鏑馬の里





15.武骨が魅力のDD51
16.小 川 町…不思議な田舎町
17.竹  沢…ホームにて
18.折  原…遠くで汽笛を聞きながら
19.寄  居…崖の上の町
20.うおーむ・あっぷ八高線
21.用  土…朝の「鉄チャン」
22.松  久…窓を開ける楽しみ
23.児  玉…浅間の見える街
24.空がとっても広い駅
25.群馬藤岡…上州名物数々あれど
26.北 藤 岡…ホームの見えるレストラン
27.倉 賀 野…ロングシートにするなら弁当代返せ
28.高  崎…「まま子」もまた楽し
29.歓迎!キハ一一〇型
  鉄道の今と未来を見つめたい(あとがき)
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D51の汽笛  まえがき

 ある夏の朝、池袋から東上線の一番電車に乗った私は終点の寄居駅から地図を手に荒川の橋を渡り、鉢形城跡の横を通って踏切に出た。草いきれのムンムンする線路端に座り込んで待っていると、遠くから汽笛の音が聞こえた。寄居の駅を発車した貨物列車の汽笛だ。数分ほどして、力強いドラフトの音とともに、D51型一四一号に引かれた上り貨物二六二列車が真っ黒な煙を吹き上げて切り通しの坂道をぐいぐいと登ってきた。それが私と八高線の最初の出会いだった。
 それから二〇年以上の月日が流れた。蒸気機関車が消え、ディーゼルカーの色が変わり、国鉄がJRになった。だが、変わらない風景をたくさん残したまま、八高線は今も走り続けている。
 そんな八高線に大きな変革が起きようとしている。南部の八王子−高麗川間の電化と北部への新型ディーゼルカーの配置、そしてCTC(列車集中制御方式)化が決まっているのだ。電化の予定は、一九九五年度だという。
 八高線は東京近郊にありながら、今まで近代化に取り残されてきた「天然記念物」的な鉄道である。八王子に住んでいる私は、ときには怒り、ときには感激しながら八高線とつきあってきた。
 八高線に大きな変革が迫っている今、幸運にも私のこれまでの八高線とのつきあいをまとめる機会を得た。「東京から一番近いローカル線」の、陰の魅力を少しでも知っていただければ幸いである。






1.八王子
 タイムスリップ一番線


 八王子駅には一番線から六番線までホームがある。
 いちばん賑やかなのは中央線ホーム。東京行の電車は三番線から、下りの高尾行や甲府・松本方面の電車は四番線から発車する。八王子には「あずさ」などすべての特急列車が停まるので、大きな荷物を抱えた旅行客が通勤客に混じって、あまり広くないホームにあふれている。
 五番線、六番線は横浜線用。中央線ホームからは数本の貨物用の線路をへだてて独立している。以前は五番線だけだったが、横浜線の電車本数が増えたのでそれに合わせてホームを一本増設した。
 二番線は上りの貨物列車が使っているが、朝のラッシュ時には東京方面への通勤電車のホームとなる。三・四番ホームが狭いので、朝だけは二番線にも人がいっぱいになる。
 八王子駅の電車のホームはこれだけである。一番線には電車は来ない。この一番線が、八高線のホームなのである。
 線路の上を走る乗り物をふつう私たちは「電車」と呼んでいる。現在ではほとんどの場合、これは正しい答えである。しかし八高線のおいてはこれがあてはまらない。八高線を走っているのは「電車」ではなく、「気動車」だからである。
 「電車」とは、電気の力でモーターを回し、その回転を車輪に伝えて動力とする乗り物である。電車の屋根の上には電気を取り入れるパンダグラフという菱形の道具がついていて、それが線路の上に張ってある架線から電気を取っている。それに対して「気動車」は、車体の床下に積んだディーゼルエンジンの力で走る。言わば「レールの上を走るバス」である。だからこれに乗るとエンジンの音が聞こえ、屋根の上の排気管からちゃんと排気ガスを出す。架線のないところでもレールさえあればどこでも走る便利なものだ。「気動車」はどちらかというと鉄道の部内用語で、ふつうは「ディーゼルカー」と呼ばれている。どちらにしても都会人にはなじみのない言葉なので、八高線の車両のことも「電車」と言っている人が多いようだ。
 さて、八王子駅の一番線には、ときどきこのディーゼルカーが停まっているのだが、この光景がなんとも場ちがいだ。中央線の通勤電車はきれいなオレンジ色の一〇両編成。特急「あずさ」や「かいじ」もカラフルである。横浜線も、昔は茶色の古い電車だったが、今では新品のステンレスの車両に全部代わってしまった。ところが一番線の八高線ホームには、三〇年ほど前に作られた色あせた古いディーゼルカーが「ブルンブルン」とエンジンのアイドリング音を響かせているのだから、中央線のホームから初めて見た人は不思議な顔をする。「あれ、なあに?」と親に聞く子どももいるが、親も答えられなくて困っているケースをしばしば見受ける。最近は「八高線」というステッカーが横に貼ってあるので助かっているらしいが……。

 中学生や高校生になると、八高線は「ダサイ」の一言で形容されてしまう。ふだん通学に使っている生徒たちもそう言うのだから、なんともしかたがない。あるとき箱根ヶ崎の駅で写真を撮っていたら、列車から下りた高校生たちが私を見て、「ハチコーの写真なんか撮ってどうすんだろうな」としゃべっていたので、私も思わず吹き出してしまった。
 東海道新幹線に「のぞみ」が走り、山形新幹線「つばさ」が「その先の日本へ」走り始めたこの時代に、たしかに八高線は古くてダサイ鉄道のひとつの象徴だと思う。しかし本来、鉄道は人々の毎日の生活の中に息づいてきたものではないか。「古くてダサイ」のはJRの責任であり、八高線の車両や八高線を使っている人たちの責任ではない。それに、私は欠陥車と言われている「のぞみ」などにはこわくて乗れないし、山形新幹線も車両故障や踏切事故続きで、JR東日本の社長が(あれほど事前に「新幹線」と宣伝しておきながら)「山形新幹線は『新幹線』と言うべきではなかった」などと発言をしている。(「新幹線ではない」のは事実で、あそこは「奥羽本線」という在来線である)のを聞くと、本当にダサイのは新幹線ではないかと思ってしまう。それにくらべて八高線の、なんと正直なことか。
 八王子駅一番線は、現代の鉄道の中では「異次元空間」である。そして八高線は、いくつもの駅に楽しい異次元空間を作り出しながら、いくつもの丘を越え、鉄橋を渡り、三時間近くかけて群馬県高崎へと走って行く。三〇年前にタイムスリップしたつもりで、これから小さな旅を楽しんでみたい。

 



 2.山と平野の間を走る


 八高線は昭和生まれの戦前派である。
 八高線は一九三一年(昭和六年)、ちょうど満州事変の年の七月一日に、高崎線倉賀野と埼玉県児玉の間が開通、その年の十二月一〇日に、八王子と東飯能の間が開通した。続いて一九三三年(昭和八年)一月二五日に児玉−寄居間、同年四月一五日に東飯能−越生間が開通、一九三四年(昭和九年)三月二四日に越生−小川町間が、そしてその年の一〇月六日に小川町−寄居間が開通し、中央本線八王子と高崎線倉賀野が二条のレールで結ばれた。列車は倉賀野から一つ先の高崎まで直通で運転されており、八王子の「八」と高崎の「高」をとって「八高線」とネーミングされた。
 一八七二年(明治五年)に日本で最初の鉄道が新橋−横浜間に開通し、明治時代には国営、民営の幹線鉄道が日本を縦につないでいった。中央本線は当初、民営の「甲武鉄道」として新宿−八王子間が一八八九年までに開通、その後国営の中央本線として西に線路を延ばし、日露戦争後の一九〇六年(明治三九年)の鉄道国有法によって八王子までの路線も国有化された。また、高崎線は「日本鉄道」が一八八四年(明治一七年)までに高崎まで開通しており、これも一九〇六年(明治三九年)に国有化されている。
 一八九二年(明治二五年)に制定された軍事的要素の強い「鉄道敷設法」によって、鉄道建設は急ピッチで進み、明治時代末には日本列島を縦に貫く鉄道(現在○○本線と呼ばれる線のほとんど)が完成した。大正時代の地方鉄道(今の私鉄)や軽便鉄道(線路の幅の狭い小鉄道・今はほとんどない)の建設ブームを経て、一九二二年に鉄道敷設法が改正され、全国を網の目のように結ぶ鉄道計画が決定された。(後年、国鉄の赤字の原因のひとつとされたローカル線の多くはこのときに計画され、また政府高官や議員などの「我田引鉄」工作の舞台ともなった。)
 八高線もこのときの法律改正で予定線に加えられた。そして軍事上の重要度から、早い時期に建設がすすめられることになった。鉄道地図を見るとわかるが、八高線は関東平野とその外側の山地の境目を走り、首都・東京を大きく取り巻く、言うわば「首都圏外郭環状鉄道」の一つになっている。東海道本線の茅ヶ崎からの相模線、横浜線(橋本−八王子)、八高線、両毛線、そして水戸線で常磐線につながるラインがそれだ。そしてこの「環状鉄道」の中でいちばん最後に建設され、いちばん山地に近いルートを走っているのが八高線なのである。
 関東平野の西側には奥多摩、奥武蔵、外秩父の山々が連なっているが、それらの山々の東端はなだらかな丘陵を形作っている。山地から流れてきた川が平野に出たところは、山の産物と平野、町の産物との取引場所として、「谷口集落」といわれる古くからの町が開けていた。飯能、越生、小川町、寄居、児玉、藤岡などがそうで、八王子と高崎も規模の大きい「谷口集落」と位置づけられる。
 これらの町でかつて取り引きされていたものに、生糸がある。丘陵地帯には桑畑が一面に広がり、町には生糸の店や織物工場もあって、賑わいを見せていた。今でも八高線のところどころには桑畑が残っている。八高線の列車はこうした丘陵の丘と谷を縫い合わせるように、エンジンの音を響かせて走っているのだ。


(続きは本書で)

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