春の小川でフナを釣る
大穂耕一郎 著
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このページはまつやま書房刊行の「春の小川でフナを釣る」の試読用のページとなっています。
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※本書では縦書きとなっています。
 また文章は発刊当時の文章を掲載しています。よって現在と多少異なる箇所がありますので、ご了承下さい。

本書の目次*青文字の表題を“ちょっと見!”できます。 

はじめに(少年時代のことから)

フナとフナ釣り、フナの味
・フナ学概論
・ヘブラナよりマブナ
・大きな川より小さな水路
・用水路の環境学
・フナの農薬学
・フナの料理学

校庭の向こうは河川敷
・クルミの木の下で
・「春の小川」と子どもたち
・カワムツの唐揚げ
・もう一つの前線

用水路の春
・川島水郷の春(埼玉県・川島町)
・メダカの学校の今
・水郷佐原の素敵な旅館
・堤の内と外(茨城県・霞ヶ浦)
・ブルーギルを踏む(茨城県・東町)
・渡良瀬遊水池(栃木県・藤岡町)
・川魚料理に思う

福田の夏
・ヤマベの天ぷら(水郷・佐原)
・ワタカ、またか(千葉県・印旛沼)
・利根北岸の埼玉県(埼玉県・北川辺町)
・水と魚の長い旅(埼玉県・大利根町)
・田んぼの米談義(千葉県・関宿町)
・あすこの田はねえ
・水が落ちる頃(大利根町)



コシヒカリの平野
・田んぼの勉強を始めた理由
・一直線の「茶色の道」
・農薬の空中散布を見た
・阿賀の人々
・ホンモロコ(?)の池

東北の夏
・故郷の川は今、コンクリート(宮城県)
・空散に退散(秋田県)
・大正復刻酒、ふたたび
・北国の青い空(青森県)

秋の陽射しの中で
・キチボソの感触(埼玉県・吉見町)
・秋の鳥、秋のネコ(埼玉県・川越市)
・小春日和(埼玉県・川越市)
・秋から春へ

あとがき
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 はじめに

 ぼくのフナ釣りは、父に教わった。
 小学校の、まだ低学年のときだった。東京都文京区の家から、都電と都バスを乗り継いで、江戸川区南部の「葛西水郷」に連れて行ってもらった。一九六〇年代の前半、高度経済成長の時代が始まった頃である。
 バス通りの町並の向こうには、農村の風景が広がっていた。水門で海とつながっている水路では、フナやクチボソ(標準和名・モツゴ)の他に、ハゼも釣れた。ハゼのウロコのザラザラ感が印象に残っている。
 葛西水郷の開発工事が始まり、釣り場は江戸川を渡った浦安に移った。バスを降りて、アサリやハマグリの貝殻が山と積まれた舟溜まりの脇を抜け、江戸川の堤防の上を、河口に向かって歩いて行った。堤防の内側には、たくさんの水路のある広大な湿地があった。
 東京オリンピックの頃、浦安は埋め立てられ、工業団地に変わった。父との釣り場は行徳(市川市)、印旛沼、新利根川などに移った。
 小学生のとき、友だちや近所の子どもたちとよく、同じ文京区の小石川植物園の池でザリガニを釣った。小学生から中学生にかけてのホームグラウンドは、市ヶ谷の壕。国電中央線の飯田橋から、四ッ谷にかけて連なる、江戸城の外壕である。友人たちと自転車で出かけて、クチボソやフナ(黄褐色の強い、典型的なキンブナがいた)を釣った。梅雨時は、テナガエビがたくさん釣れた。
 中学生時代の後半から、ぼくの趣味の中心は鉄道写真の撮影に移り、釣り竿はたまに使われる程度になった。だが、教員として八王子市の郊外の小学校に赴任すると、学校の子どもたちと一緒に、学校のすぐそばの川で糸を垂れた。ブラックバスが広がる前の琵琶湖で、フナやヤマベ(標準和名・オイカワ)、タナゴなどをたくさん釣ったこともあった。
 そのぼくが、しばらくフナ釣りと垂れていた。そのきっかけは、相模湖でヤマベが釣れなくなり、代わりにブラックバスが泳いでいるのを見たこと。だが、そのときのぼくは、ブラックバスから逃げることしかしなかった。木更津のハゼ釣り、三浦半島の海辺の小物釣り、そしてヤマメ、イワナの渓流釣りへと、ぼくの釣りはフナからも遠ざかっていた。
 ぼくが再びフナ釣りに戻ったのは、イワナ釣りに通うルートが、圏央道の開通によって、埼玉県の水田地帯の県道を走るようになったから、関越道の東松山から東北道の羽生まで約一時間の道程で、春の小川の素敵な景色を車の窓から眺めたぼくは、子どもの頃のフナ釣りを思い出してしまったのである。
 だが、いざフナ釣り、となると、釣り場を探すのが大変だった。大きな川は苦手なぼくは、田んぼの用水路を探したのだが、季節によって水量がまったく違うし、流れが速すぎたり、コンクリートばかりだったりして、どこで釣ればいいのか、さっぱりわからなかった。
 それでも、試行錯誤を繰り返すうちに、しだいに釣れる場所の条件が見えてきた。しかし、それとともに、フナや他の魚たちをとりまく環境が、とても厳しくなっていることにも気がついてしまった。これは大変な事態である。
 田んぼと用水路の姿が変わった。日本にいないはずの魚が増えた。テナガエビやタナゴが釣れなくなった。そして、フナを釣る子どもたちの姿も、ほとんど見られなくなっていた。
 少年時代をフナとともに過ごしたぼくは、フナの現実と将来に危機感を持ってしまった。このままでは、フナのいる場所はどんどんなくなり、フナを知らずに大人になる子がどんどん増えてしまう。「小鮒釣りしかの川」や「春の小川はさらさらいくよ」という歌の意味が、だれもわからなくなってしまう。これでは、日本の未来はない。
 そこでぼくは、フナのいる「小川」を探し歩きながら、フナをとりまく環境を視察し、調べてみることにした。そのまとめがこの本、というわけである。フナの話だけでなく、川や田んぼ、米、農薬、はたまた酒の話にまで広がってしまったが、そのおかげで、釣りをしない人にも読んでいただけるのではないかと思っている。
 フナに育てられた少年が、大人になって、フナに恩返ししたいと思って書いた……。
 ウフフ、と笑いながら読んでいただければ幸いである。
 



フナとフナ釣り、フナの味

 フナ学 概論

 フナは、コイ目コイ科フナ属の淡水魚である。主として川の中・下流域、池や沼、用水路など、比較的有機物の多い水域に生息している。
 「マブナ」は、「キンブナ」と「ギンブナ」に分類される。キンブナは、体色が金色味を帯び、背中があまり盛り上がらず、丸っこい姿をしている。ギンブナは、腹が白く、タイのように背中が盛り上がっている。ただし、フナは地域や個体による変異が大きいので、ぼくは「典型的なキンブナ」「典型的なギンブナ」は見分けられるものの、どちらともつかないフナもいる。ぼくの最近の実績では、ギンブナ型が多く、キンブナ型は少ない。
 ギンブナは、ほとんどがメスで、水辺の草の茎などに産みつけられた卵は、他の種の魚の精子の刺激によって成長を始め、ちゃんと一人前のギンブナになるという特異な性質を持っている。釣って持ち帰り、腹わたを取ると、確かにほとんどがメスである。
 「マブナ」に対して、種として認められているのは、ゲンゴロウブナとニゴロブナである。どちらも琵琶湖のフナで、ニゴロブナは体形が長細く、琵琶湖名物の「鮒ずし」(米と一緒に漬け込んで発酵させた「なれずし」で、独特の臭みがある)の材料となるが、琵琶湖がブラックバスとブルーギルに支配された今、漁獲高は極端に減っているそうだ。それに対して、ゲンゴロウブナは、「ヘブラナ」という名前で、釣りの対象魚として養殖、移殖され、生息域を全国に広げている。
 ヘブラナは、ギンブナよりもさらに背中が盛り上がり、眼の位置が不自然に下にある。どう見ても不格好な風体である。平たい体なので、肉は薄く、マブナより食味は数段落ちる。食べ比べたので、まちがいはない。こんな魚が全国に広まったのは、半世紀ほど前から。「ヘブラナ釣り」という特殊なジャンルにハマる人が増えたためである。
 マブナは雑食性だが、ヘブラナは「純植物性」。植物性プランクトンを専門に漉し取って食べるという独特な食性で、そのために、放流された場所での他の魚との競合が起きにくく、うまく定着したそうだ。
 フナの産卵期は、早春から初夏にかけてで、場所によってだいぶ違う。岸辺の水草の茎などに産むが、細い用水路や田んぼに入って産卵することも知られている。フナは、自らの生活サイクルを田んぼのサイクルにうまく合わせているようだ。川から用水路に水が通る頃、取り入れ口にはフナやタモロコなどが群をなすという話も聞いた。
 春に産まれたフナの稚魚は、田んぼの水が落ちる稲刈りの頃には、「柿の種」くらいの大きさに育っている。用水路や排水路の水も減水したり、干上がってしまうのだが、フナや他の魚は、冬でも一定の水深のある深水に集まったり、排水路から広い川に戻ったりする。だが、最近の排水路は、川の水面よりも水位を低くしておいて、ポンプで水を汲み上げて本川にもどす所が多く、魚たちが冬を迎えるにも苦労が多いようだ。秋には水が残っていても、次第に干上がってしまうような溜まりに残された魚たちには、サギの長い嘴が待ちかまえている。
 フナは人里の川や池、沼、用水路など、人々の生活に密着した場所に棲んでいることから、多くの人に知られ、親しまれてきた。子供の遊び相手として、貴重なタンパク源として、また、季節を感じさせる風物として。
 フナの近隣種にコイがいる。コイは、「鯉のぼり」を始め、「鯉の滝上り」、「まな板の鯉」など、海のタイと並ぶ(今はタイとはだいぶ落差があるが)「淡水魚の王者」のイメージすらある。さらに、一尾数百万円もする錦鯉までいる。そのコイに比べると、ヒゲのないフナはずっと地味である。「一メートルの大鯉」はいても、フナはせいぜい「尺鮒」どまり。ヘラブナ釣りでは、五〇センチメートル近い、「巨ベラ」が存在するが、フナのイメージは、やはり「故郷」の歌にあるような「小鮒」、家庭で飼われるかわいい金魚に似たフナである。コイより地味でも、コイより身近な存在として、フナはいた。
 人々に近い存在のフナは、人々の暮らしの変化がそのまま生息環境の変化に結びついた。河川改修、工場廃水、合成洗剤、農薬……。人間が生み出した環境、人間に影響を与えている物質は、そのままフナにも影響を及ぼしているはずだ。フナを初めて釣ってから四〇年。ぼくは、二一世紀を迎える今の、フナたちと彼らをとりまく環境を訪ねて歩く旅に出た。もちろん、釣り竿を持って。

(続きは本書で)

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