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下巻は武蔵武士の有力武士、金子氏(本貫地・入間市、新居浜市、淡路島に)、難波田氏(本貫地・富士見市)、畠山氏(本貫地・川本町、嵐山町)、葛西氏(本貫地・葛飾区、岩手県平泉市、宮城県石巻市に)、豊島氏(本貫地・北区)、河越氏(本貫地・川越市)、小山田氏(本貫地・町田市)、稲毛氏(本貫地・川崎市)、平山氏(本貫地・日野市、福岡県那珂川町)、立河氏(本貫地・立川市)、斎藤氏(本貫地・妻沼町、愛媛県東予市、朝倉村に)、足立氏(本貫地・桶川市、旧大宮市、兵庫県青垣町、香川県豊中町)、比企氏(本貫地・東松山市、川島町)の13氏を描いております。
特に下巻では、鎌倉政権の内部闘争で敗れた畠山氏、河越氏、比企氏などの悲劇の武将を描くとともに、育てた子ども(木曽義仲)の軍と闘い、死した斎藤実盛をも記しています。
河越氏の娘は、義経の正室で、義経追討で娘は死し、河越氏の総大将河越重頼は殺され、所領は没収されています。のち所領の一部は返却されているが。
武蔵武士の武蔵の国は、埼玉県、東京都、神奈川県の横浜市の大部分を含む巨大な国でした。明治維新で三県に分かれた次第です。明治維新で国が別々になった例は少なく、この武藏だけではないでしょうか。大部分が、備前と備中の国が岡山県に、播磨、摂津、但馬が兵庫県、下総、上総、安房が千葉県、遠江、駿河、伊豆が静岡県になったごとく、合併(合併という言葉が正しいかはともかく)、一緒になって新しい県となっています。
武蔵の国は、江戸湾(東京湾)に注ぐ河川の多摩川、荒川流域なの圏域でした。
この武蔵の国は、一千年以上同じ国であったわけですから、なぜ埼玉県のアイデンティティが希薄かといわれるとそこにあるわけなのです。
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